2008年05月12日

周の『独楽吟のススメ』の107

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 本日06:00に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/05/12 【No.1612】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 猫の置物 あれこれと わが玄関に 眺め見る時

猫が好きです。あののんびりした寝姿や 寂しさを感じさせる後姿優雅で・・・。家の玄関には5-6匹の猫の置物が飾ってあって それを見ると癒される気がします。

 私の一族は犬とは大変に関係してきました。猫とはほとんどありません。でも小説や物語、絵本に出てくる猫は好きです。いろんな動物は、私のことを敏感に感じるところがあって、だから鎌倉のリスは私の膝にあがってきたりします。多くの猫も同じで、よく判るのでしょう。私のそばには来ません。

たのしみは 心の傷が 腰に出て 歩めぬ今日を 寝て過ごす時

どうにも辛い日々で ぎっくり腰になってしまいました。明日は仕事ですから 治る予定です。私の病気はいつも休日のみなのです。寝て過ごすのも良いものです。

 ぎっくり腰って、私はなったことがありません。誰もよく話されるのですが、私には皆目判らないことなのです。なんだか、そんなことがたくさんある気がしています。

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わが家のおかあさん2008.05.12

bfb0e4a8.jpg この「連絡ノートを楽しく読まさせて頂いております」という言葉に嬉しくなります。でもきっと私の娘たちは、「こう書かれちゃうと、パパは図に乗るんだよな」と警戒することでしょう。何、構うものですか。
 写真は、昨日11日の朝の次女が送ってきました母の日のお花です。義父が写真で優しく見てくれています。(05/12)


マガジン将門第405号発刊

9ef523ef.jpg 本日5月12日午前0時台に、マガジン将門第405号 を配信しました。456部の配信です。これは5月10日午後9時台に予約配信していました。
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shomon at 06:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!マガジン将門 

2008年05月11日

周の漢詩入門「陶淵明『飲酒 其十一』」

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 この「其十一」になっても、実に言われていることは私には、簡単に判らないのです。

   飲酒 其十一 陶淵明
  顏生稱爲仁 顏生(註1)は 仁を為すと称され、
  榮公言有道 栄公(註2)は 道有りと言はる。
  屡空不獲年 屡(しば)しば空にして 年を獲ず、
  長飢至於老 長(つね)に飢えて 老いに至る。
  雖留身後名 身後の名を留むと雖も、
  一生亦枯槁 一生亦枯槁(ここう)す。
  死去何所知 死去すれば 何の知る所ぞ、
  稱心固爲好 心に称(かな)ふを 固(もと)より好しと為す。
  客養千金躯 千金の躯(み)を客養するも
  臨化消其寶 化に臨んでは其の宝を消す。
  裸葬何必惡 裸葬(註3) 何ぞ必ずしも悪しからん、
  人當解意表 人常(まさ)に 意表を解すべし。

  (註1)顔生 孔子の門人顔回
  (註2)栄公 春秋時代の隠者栄啓期
  (註3)裸葬 漢の揚王孫が遺言で、子どもに裸で葬らせたという

  顏回は仁を実践したと称賛され、
  栄公は有道といわれた。
  顏回はしばしば米びつは空であり長生きできなかった、
  栄公はいつも飢えて年をとった。
  死後に名声を残したといっても、
  その一生はやせ衰えたものだった。
  死んでしまえば、何も分からない、
  心に称うを固より好いことである。
  かけがえのない身体を大切にしてきたが、
  死に臨んではその肉体を消し去ることになる。
  裸葬もまた悪くはないではないか、
  よくよく生き様の如何を考えたいものだ

 顔回は孔子の弟子で、志高かったが常に清貧に甘んていて、30歳にして若死にした。栄啓期は、いつも飢えていて90歳まで生き長らえた。
 死後に名を残し、聖人だなどといって称賛されても、貧しくひもじい人生を過ごすのは、たった一度の人生としては余りにもさびしい、それより生きているうちに、生きることの喜びを謳歌することのほうが、どれだけいいことだろうか。
 このことは、私も充分に判るつもりです。
 この生きている、この世界で、充実した人生を送ることが出来れば、死後に何も残らないでよいではないか、漢の楊王孫のように裸のまま葬られるのもまたいいではないか、というのは、実にその通りだと私も思います。

 人生を、こういうふうに思い、そのまま生きてきた陶淵明は、思えば、よくこの世界、この人生を生きたのかもしれません。今はやっとそんなことを思うようになりました。なかなか読んでいても簡単には判ってこないのですが、どうやら、少しづつ到達できるかなあ、という思いがします。「酒を飲む」と言っても、昔のように、ただただひたすら量を飲んでいるだけではないのだ、なんていう思いがしています。

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周の雑読備忘録「佐野洋子『100万回生きたねこ』」

100万回生きたねこ (佐野洋子の絵本 (1))
 ナミちゃんのブログで紹介されていました。

 http://blogs.yahoo.co.jp/namint7/37877928.html 絵本「100万回生きたねこ」

 次の文から始まります。

 100万年も しなない ねこが いました。
 100万年も しんで、100万回も 生きたのです。

書 名 100万回生きたねこ
作・絵 佐野洋子
発行所 講談社
定 価 1,400円+税
発行日 1977年10月20日第1刷発行
読了日 2008年5月11日

 100万人の人が、この猫を可愛がり、その100万人の人はこの猫が死んだときに泣きました。でも、この猫は1回も泣きませんでした。
 王さまに飼われて、船乗りに飼われて、サーカスの手品使いに飼われて、どろぼうに飼われて、ひとりぼっちのおばあさんに飼われて、小さな女の子に飼われて、でも、誰のことも嫌いでした。「大嫌い」でした。
 そのあと、誰の猫でもなくなり、猫ははじめて自分の猫になりました。そうしたら、大勢の猫たちがこの猫にすりよってきます。でもこの猫は、自分が好きなだけで、誰も好きになれませんでした。

 「おれは、100万回も しんだんだぜ。いまさらおっかしくて!」

 猫は、ただただ自分だけが好きだったのです。
 でもそんな猫の前に、一匹の白い猫が現れます。猫が、「俺は100万回も死んだんだぜ」と言っても、何も驚きません。何も感動しません。
 この自分に何も、100万回も死んだことに、何も驚かないこの白い猫に、この猫は恋をしたのです(この「恋」ということは何も書いてありませんが)。たぶん、白い猫も、そんな100万回も死んだことを言わなくなった猫に恋するようになったのでしょう(でも、そんなことは何も書いてありませんが)。
 可愛い子どもができて、猫はとっても嬉しくて幸せだったはずです。猫はこの白い猫と、たくさんの子猫が、自分のことよりも好きになったのです。
 やがて、子猫はみんな出て行き、白い猫はやがて死にます。
 猫は、ずっと泣きます。100万回も泣きます。そして、やがて、

 ねこは、白いねこの となりで、しずかに うごかなくなりました。

 ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。

 たぶん、やっとこの猫は生きることを知ったのだと思います。幸せになることの意味が少しは判ったのだと思います。
 思えば、「100万回生きた」のではなく、やっと、これだけ何回も生きて、それでやっと「生きる」ことの意味を見つけたのだと思います。

 この私も生きることの意味、生き続けること、家族と一緒に生きること、友人と語らい合うことの大きな意味を考えていました。
 共同幻想はやがて、桎梏となってしまうわけですが、対幻想は、妻との幻想、娘との幻想、孫との幻想は、私には決して桎梏とはなりません。生きることはいいこと、生きたことはいいことだと言える思いがしています。



周の『独楽吟のススメ』の106

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 本日06:00に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/05/11 【No.1611】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 「ひとり」と思うを 止めにして 「太陽」意識し 暮らし行く時

寂しさや孤独に弱いので それを意識すると変な道に入って行きかねない自分がいます。一人じゃないんだ、「女性は原始 太陽であった」を意識し 生きていきたいなぁ。

「女性は原始太陽であった」って、私もいつも思っています。私の母、私の妻、私の娘も、みな太陽です。でも、私なんか、なんとなく、ようするにゴミだものなあ。きょうは、「母の日」で次女から朝届いた花をデジカメで撮りまして、何度も印刷しなおして、次女に手紙に同封して届けます。…あの、「父の日」は、私はお酒がいいのです。

たのしみは 年より若く 見える人 秘訣をそっと 聞いてみる時

自然のなりゆきで 皆老いて行くわけだけど 若く見える人は何か努力しているのかしら?その秘訣を聞くのは 楽しみの一つです。

 同じ年齢でも、随分歳が違うとしか思えない人っていますね。こうした感じというのはいつも何なのでしょうか。

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きょうは母の日

0a273e22.jpg きょうは、5月の第二日曜日です。きょうは母の日です。
 朝9時15分に、ピンポンがなり、何だろうと玄関に出ると、ここに写真に掲げたお花のアレンジメントが届けられました。あ、そうだ、きょうは「母の日」だったのです。ここに載せましたのがその届けられた花のアレンジメントです。
 送ってくれたのは、次女のブルータスです。ひよっとしたら。まだ眠っているかもしれないと、妻は、ケータイメールを送っていました。でもすぐにブルータスは返信をくれたようです。母の日の朝にこうして届けてくれるなんていいですね。
 すぐにおはぎとポコ汰も来てくれて、ミツ君も来てくれました。でもお花の好きなポコ汰なのですが、お花を見るよりも、目はテレビのほうを見ていましたね。
 でもでも、このポコ汰もお花が好きなのです。こうしてお花をよく指さして何かを喋っています。


おはぎの友だちの結婚

f849f306.jpg 昨日はおはぎの高校時代の友だちの、N.R.の結婚式でした。銀座での結婚式ということで、おはぎとミツ君は、ポコ汰を私たちに預けて出かけました。結婚した彼女とその彼は、グラフィックデザイナーです。
 帰ってきてから聞いたところ、結婚式披露宴のさまざまなものが、デザイナーの二人による手作りでした。話を聞いても、それらの手作りのものを見ても、もう大変に感心していました。
 思えば、私の娘の友だちは、長女おはぎにしろ、次女ブルータスにしろ、実にしっかりした娘ばかりです。私はいつも感心しています。いい友だちの一人一人に感心すると同時に、こうしたいい友だちを持っている娘二人に感心しているのです。
 私はいつも思っています。吉本(吉本隆明)さんのいう「自立」という言葉です。いつも娘たちの友人たちに、吉本さんのいう、しっかりと自立した女性たちを感じています。私の娘の友だちですから、昔からいつも、「いい娘たちだな、しっかりしているなあ」ということを感じていました。その彼たちのことは、ほぼ娘の話を聞くだけです(ときどきお会いしたこともあります)が、これまた実にしっかりした魅力ある方々であることを感じています。
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ポコ汰号泣する

08051104 昨日は、午後からおはぎとミツ君がおはぎの高校時代の友人の結婚式でした。それで、ポコ汰を午後2時頃から私たちの家で預かりました。
 ポコ汰はパパとママがいなくなると、泣くかなあ、と心配していましたが、元気に振る舞っています。このじいじとけっこううまくやっています。
 でも2時間半ばかりお昼寝したあと、起きるとさすが大泣きしています。でもばあばが抱いて、外を歩いたりしているうちに直ってきました。でも、さすがパパとママが気になるらしく、私はポコ汰を自分の家に連れていきました。そこでテレビを付けて、大きな画面で見ていました。
 一生懸命に話しかけていまして、でもそのうち、「上のじいじとばあばのうちで待っていようか」というと、素直についてきます。
 そこで、私たちの食事になります。ポコ汰もいっぱい食べています。あんまり食べないのはおおばばだけです。
 それで、やっと午後9時頃、パパとママが帰ってきました。そしてやがて、家に帰るときが来ました。今度は、私の妻ばあばが、ポコ汰と手をつないで送っていきます。私は、「あ、ばあばがここへ帰ってくるのが大変だなあ」
 そして時間が経ちまして、やっとばあばとおはぎ(は忘れ物をとりにきました)が帰ってきました。ミツ君が構っている間に、黙って帰ったのですが、ドアの外に出てしばらくすると、号泣するポコ汰の声が聞こえたというのです。
 私は心配になって、「じいじが行くよ」というのですが、「そんなことをすると、同じことに繰り返しだ」というのであきらめました。
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shomon at 08:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!周の孫たち 

2008年05月10日

マガジン将門第405号予約配信

08051103 本日の5月10日午後9時台に、マガジン将門第405号を予約配信していました。456部の配信です。5月12日の午前0時台に配信されます。
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shomon at 22:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!マガジン将門 

一昨日私の友人が送ってくれた画像

6878373f.jpg 一昨日私が質問してくれたことへの回答のケータイメールが、ここの画像が添付されて返ってきていました。
 この画像を見て、懐かしく思い出していました。

    この亀戸天満宮の藤を見たのは、今から35年前の頃かなあ。この画像を見てまた行ってみたくなりました。東京はいくらでも行きたいところがありますが、でも実際にはちゃんと行ったことってないのですね。
 でもこうして画像を送ってもらいますと、昔の思い出がいくらでも甦ってくるものです。またいろいろなところを歩いてみようかなあ。
08051002 それに思えば、デジカメの画像というのは、簡単に送付できるからいいですね。ただし、ときどき大きな画像のまま送ってくる方がいて、大変に時間がかかった画像がもうどうでもいい画像だったときには、実にがっくりします。でもやっている人がけっこういますよ。気を付けましょうね。



shomon at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!周の発言 

記念切手で手紙を出そう

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 昨日80円切手を買いに近くの郵便局へ行きました。けっこう大量の切手を持っていたわけですが、日々書いています和紙の手紙で、みんな出してきました。でもちょうどお金もなかったので、「80円切手を10枚ください」といいましたら、「記念切手でいいですか?」といいます。もちろんいいわけですが、そこでもらいました切手が実にいいのです。
 それは「ふるさと心の風景『第1集夏の風景』」という切手でした。
 以下の種類の切手です。

 埼玉県川越市 千葉県銚子市 滋賀県蒲生群 三重県伊勢市 石川県白山市  秋田県山本群 岐阜県郡上市 香川県小豆群 長野県松本市 高知県安芸市

の夏の風景が10枚でワンセットです。これを見たら誰でもこれで手紙を出したくなるような、とっても綺麗な切手なのです。
 葉書にいつも記念切手を貼ってくれます友人がいます。私が大昔沖縄で働いていたときに飯場で飯炊きをやってくれていた女性です。色が大変に白い、胸のでっかい美女でした。彼女は、その後山口県で幼稚園の先生をやり続け、最後は、そこの園の理事長になっていました。今年定年で、今は沖縄で娘さんと、双子の孫と一緒写った葉書をくれたものです。
 それにしても、こうして綺麗な切手を貼って手紙を出すのはいいですね。もうこの切手で、きのうから7通の手紙を出しました。
 今後はなるべく、こうして記念切手を求めていこうと考えました。



わが家のおかあさん2008.05.10

275fe9a1.jpg「穏やかに過ごされておりました」という文面にほっとします。ここへ帰ってくると、とっても元気なひ孫が来ることがありますから、それでまた笑顔になっています。
 写真は、昨日朝義母をそちらに送りました際に撮りました。こんなにどこにもお花があることが嬉しいです。(05/10)


周の『独楽吟のススメ』の105

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 本日06:00に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/05/10 【No.1610】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 愛する人を 思いつつ 独楽吟を 詠んでいる時

私は 幸せです。愛する人がいるんですもの。互いに大事に思い思われる人がいるのですもの。

 こういうふうに素直に言える破茶さんがいいですね。私もそういうふうに言い切るようになろう。でもすぐ今言えない自分がいます。まだまだこれから、ちゃんと試練の時です。

たのしみは 今宵ひとまず 寝ましょうと ご飯も食べずに 横になる時

疲れたぁ!いろいろあった!寝るのが一番!極楽 極楽!愛する人におやすみを言って・・・・。

 そうか、そもそも私はまともに眠っていないですからね。あ、それにいつも長大なる夢を見ています。あ、きょうの夢の内容は書いておきましょう。



2008年05月09日

周の漢詩入門「岑參『戲題關門』」

08050902「来るときも、去るときも無位無官」という思いを述べた岑参の詩です。

   戲題關門 戯れに関門に題す
         岑參
  來亦一布衣 来るも亦一布衣
  去亦一布衣 去るも亦一布衣
  羞見關城吏 羞ずらくは 関城の吏に見(あ)わんことを
  還從舊道歸 還(ま)た 旧道に従(した)がいて帰る

  来るときも 無位無官
  去るときも 無位無官
  関所の役人に会うのが恥ずかしい
  自分はまたもと来た道を通って帰るしかないのだ

 洛陽と長安を結ぶ路に、函谷関があります。ここを何度も岑参は往来したものなのでしょう。いつも仕官することを求め、でもいつもそれは叶いません。
 これを読みながら、私の20代後半、30代前半を思い出していました。思えば、このときの岑参と同じ歳の頃ですね。「羞見関城吏」、この詩句がよく判ります。たぶん、関守は何も感じないのかもしてません。でもそこを通る岑参の思いは違うのです。辛く羞しく悲しいのです。
 思い出せば、私もその頃、コクヨの履歴書を文房具店に買いにいくのが辛かったものでした。すべて違う文房具店に行っても、それでも足りなかったものでした。もうその嫌な経験のあと30代のときには、私は自分の履歴書を印刷したものでした(ただし、手書きに思えるし、かつ印刷したものだとは誰も思えないよ)。
「来るときも、去るときも無位無官」という岑参の思いが辛く私にも伝わってきます。

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わが家のおかあさん2008.05.09

9fb47f50.jpg そちらで元気に過ごしているだろう義母を想像していて嬉しいです。いついつまでも続きますようにと願います。
 写真は、随分大昔に、私の二人の娘の5番目の母というFさんが送ってくれていた絵葉書です。北海道へ行ってくれていたのですね。なんでいまごろ見つかったのでしょうか。でもとっても素敵な絵葉書です。(05/09)


周の『独楽吟のススメ』の104

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 本日06:00に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/05/09 【No.1609】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 「9」のつく日の 有難さ 数字で厄の 落とされる時

私の父がこういう運勢とか厄とか大好き人間で、私はそれに振り回されたくなくてほとんど無視しているのですが、「4」とか「9」の数字ってそれだけで『わたしがみんなの厄を一手に引き受けてあげるわ!』って主張しているみたいで 好きです。

 運勢なんて気にしたことはなかったなあ、って思っています。もっと別なことばかりを気にしてきました。もうそれでずっと生きてきてしまいました。

たのしみは 給料日まで 約10日 それを頼りに 仕事する時

正直申しましてお金のためだけに働いています。「アンタが私の懐に入ってくるまでは ウチは どんな苦労にも耐えて見せます♪(静岡カネしぐれ)」

 何のために働いているのか、何のためにそもそも生きているのか。思えば、そんなことも考えたことがありませんでした。きのうも、孫が私の前で「おお」って言っていました。思えば、ただただあの孫のことが大好きです。

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2008年05月08日

周の『独楽吟のススメ』の103

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 本日06:00に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/05/08 【No.1608】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 何があろうと ランチなど 誘ってくれる 友といる時

胃が痛いし頭もがんがんしてるからランチなんてという私に、いつでも良いからとランチを誘ってくれる友達、有難いなぁと思います。私の場合、胃も頭もすぐに治るんです。一種の仮病ですから・・・・。

「一種の仮病」ね……、そうなんだ。でもとにかく、こうした友のいることがとっても嬉しいことですね。私もできるだけ、友人に連絡して、また会ってみましょう。あ、手紙書くだけでもいいんだなあ。

たのしみは 雨が上がって 新緑の 枝さわさわと 揺れる見る時

雨の日は灰色だった風景も雨が上がると なんてきれいな はじける緑!新緑の枝がさわさわと風に揺れて 心が落ち着きます。

 新緑ね、「私も好きです」と言いたいところなんですが、私はどうしても緑色というのが好きになれないのですね。「はじける緑!新緑の枝がさわさわと風に揺れて」というのは好きなんですが、でも緑色にはこだわりがありまして、どうしても好きになれないのです。いえ、これは私がくだらない阿呆な人間だということだけなのですが。

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「ゲーテについてのある推理」

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 私がもう15年以上前に書いた文章に次があります。

93-04-14 周の文学歴史散歩3「ゲーテ記念館」
 ただ私はこのゲーテ記念館へ来て、まったく誤解していたことを初めて知りました。これは良かった。中学2年のころから間違って思い込んでいたわけです。
 ゲーテの「ファウスト」において、第1部で出てくるファウストの恋人はグレートヒェンです。彼女は第2部の最後に神との約束に勝ったとするメフィストフェレスと悪魔たちに薔薇の花を投げて、ファウストを天上に連れていきます。私はこの女性が何故グレートヒェンなのかが不思議でした。グレートヒェンという女性はゲーテ14歳のときの初恋の女性です。ゲーテより3歳年上でした。私がどうにも好きになれない嫌な女です。なんで、こんな嫌な女が「ファウスト」の最後に出て来てファウストを救うのだろうと思っていたのです。しかし、ゲーテ記念館の解説読んで分かりました。あの「ファウスト」のグレートヒェンとは、実際のゲーテ初恋のグレートヒェンではなく、私が一番好きなフリーデリケだったのです。ゲーテはやはりこの少女が一番好きだったし、贖罪の意識ももっていたのでしょうか。ただ作中の名前だけをグレートヒェンにしただけなのです。これで、第1部での彼女の叫びなどが、分かりました。あれはフリーデリケの叫びなのですね。
 私はこのことだけを知っただけで、なんだかとても嬉しくなり安心しました。いままでなんだか悲しい顔したフリーデリケだけだったのが、なんだかこれで救われた気がします。フリーデリケの頬が少し薔薇色になった思いがしました。

 これは私のホームページ内の、周の文学哲学歴史話 に書いている以下の中の一部です。

  http://shomon.net/bun/reki5.htm#goethe ゲーテについてのある推理

 このことを、私は昨日、周の雑読備忘録「牧原純『北ホテル48号室ーチェーホフと女性たち』」 に書いた、このチェーホフに関する女性たちを思うときに、私はまたゲーテの生涯の恋人だと私が考えていますフリーデリケのことを思い出していたのです。

 またチェーホフをめぐる女性たちのこともちゃんと記しておかないといけないな、私がまたここで、ちゃんと把握しておきたいと考えたものでした。

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わが家のおかあさん2008.05.08

5cdd5f9f.jpg 義母とはいつもいろんな問答をしています。やはり、どうしても今の自分のことがうまく認識できないようです。
 写真は、昨日7日の午後6時少し前の「武蔵野大学」の正門です。江古田から歩いて10分くらいのところです。ただいくら思い出しても、私の学生運動の中で、この大学は出てきたことがないですね。だから門の前でも少しの感慨もわいてきませんでした。(05/08)


2008年05月07日

周の雑読備忘録「牧原純『北ホテル48号室ーチェーホフと女性たち』」

北ホテル48号室―チェーホフと女性たち (チェーホフ・コレクション)
書 名 北ホテル48号室
    チェーホフと女性たち
著 者 牧原 純
発行所 未知谷
定 価 1,800円+税
発行日 2006年3月25日初版発行
読了日 2008年5月7日

 私はこの本を読んで、私はあんなに好きなはずのチェーホフのことを全く知らなかったのだということをつくづく思い知りました。ただただ羞しいです。

目次
第一部 アントニオとクレオパトラ
 1 サハリン行きの謎
 2 オデッサ 1889年7月
 3 女優クレオパトラ・カラトゥイギナとは?
 4 往復書簡
 5 サハリン以後
 6 ふたたびクレオパトラの回想
 7 おわりに
第二部 チェーホフと女性たち
 マリア・ウラジーミロヴナ・キセリョーワ
 アレクサンドラ・ワシーリエヴナ・リントワリョーワと三姉妹
 エレーナ・ミハーイロヴナ・シャヴローワ
 リジア・スターヒエヴナ・ミジーノワ(リーカ)
 リジア・ボリーソヴナ・ヤヴォールスカヤ
  タチアーナ・リヴォーヴナ・シェープキナ=クペールニク(ターニャ)
  オリガ・ペトローヴナ・クンダーソワ
 リジア・アレクセーエヴナ・アヴィーロワ
 オリガ・レオナールドヴナ・クニッペル
 マリア・パーヴロヴナ・チェーホワ
あとがき
参考文献・資料

 以下は、扉にある著者の紹介です。

牧原純 [まきはら じゅん]
本名、島地純。1926年東京生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒。文化放送でラジオ・ドラマ演出など、放送関連の仕事を幅広く手掛ける一方、並行して、エルミーロフ『チェーホフ研究』『チェーホフのドラマトゥルギー』(未来社)、マルシャーク『子供の芝居の本』I・II・III(理論社)、マリア・チェーホワ『兄チェーホフ(遠い過去から)』(筑摩書房)の翻訳・出版、フィゲイレド『狐とぶどう』(ぶどうの会)、マリューギン『想出のチェーホフ』(劇団民藝)、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(東京演劇アンサンブル)の翻訳・上演台本など、チェーホフを中心としたロシア演劇の研究・紹介、演劇評論に携る。研究書・上演台本等の翻訳多数。著書に『チェーホフ巡礼』(晩成書房)、『越境する作家チェ−ホフ』(東洋書店)などがある。

 以下はこの本の裏面に書いてある解説です。

オデッサ、1889年7月北ホテル48号室、俳優たちのお茶の部屋アントン・チェーホフ、ロシア大地の大女優クレオパトラ・カラトゥイギナ二人が出会った。
国立中央(レーニン)図書館で、女優カラトゥイギナのチェーホフ宛て書簡38通を新たに発見。
1890年、而立のチェーホフをシベリヤからサハリン島へと導いたものは何か。ロシアに先んじてその謎に迫る。

 私はきょう、私のクライアントへの行き帰りの中の電車の中で、「チェーホフが一番好きだったのは誰なんだ?」と叫んでいました(もちろん心の中で)。
 思えば、私は中央公論社版の「チェーホフ全集」を読んだのは、いつのことだったでしょうか。大学5年か6年のときであり、そしてその後も何度も読んできました。
 思えば、私は何も知らなかったのです。何も判っていなかったのです。ただただ、羞しい思いばかりが私の脳裏によぎるばかりです。



竹久夢二美術館でのお土産のハンカチ

2359c653.jpg 一昨日家族7人で行きました、谷中千駄木根津の散歩ですが、私には実に愉しい思い出でした。思えば、次女夫婦も、孫のポコ汰も一緒に歩けたのは初めてのことです。次にこうして歩けるのはいつのことかなあ。長女おはぎの2番目の赤ちゃんのポニュちゃんが生まれるのは、この夏の7月末か8月最初ですから、この夏には、どこにもいけません。
 来年のお正月には全部で8人の家族で会えるかなあ。それに、私の兄の家族と、弟の家族とも会えれば、もう大人数ですが、これは実に愉しいことです。もう私はそれが実に待ち遠しい思いです。ポコ汰が、みーねえの次男のレイちゃんに遊んでもらう姿を想像してしまいます。
08050514 それで一昨日は、竹久夢二美術館で、この画像のハンカチを購入してきました。私はハンカチと思っていますが、美術館には「風呂敷」なんて書いてありましたね。でも私はハンカチとして使います。私はもうとにかく大きなハンカチがいいのです。昔からそうでした。手拭いも好きでしたが、ハンカチのようにポケットに入れるわけにいかないのです。だから、こうしたハンカチなら実に私には便利なのですね。


周の『独楽吟のススメ』の102

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 本日06:00に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/05/07 【No.1607】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 6年続きの カレンダー 早くも1年 過ぎたと知る時

6年カレンダーっていうのを作ってみたのです。あと6年間はシビアな仕事にご奉仕しなければならないので色塗りみたいに少しずつ減っていくことを願って作ってみたのです。その分お給料は下がり 年は頂いちゃうんですけどね・・。

 えっ、私はそんなカレンダーを使う勇気はないなあ。だってもうすぐ60歳になるんですもの。これからますます歳をとっていくことが厳しくなっていく思いです。

たのしみは 「ひとり」と思えば 辛いけど 子供らの愛 あると知る時

子供たちが 離れて行ってしまったような気がして限りない寂しさに襲われていましたが、どうもそうでは無さそうです。言葉とは裏腹に母親のことを思っていてくれるようです。ひとりじゃないんだ!

 私は二人の娘です。けっこう厳しい娘たちですよ。でもその分優しい気持も私にはしています。もうただただ、孫が可愛いばかりです。もう一人孫が生まれてきて、もっと可愛くなるのかなあ。

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2008年05月06日

昨日39年前を思い出した

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 私は 5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の3 に次のように書いていました。

 やがて、言問通りをあるくと、私には実に懐かしく思い出す橋が見えてきます。この橋は、東大の農学部と東大の本郷の本部を結んでいる東大構内の橋です。この橋が懐かしいのは、私はこの橋を1969年1月9日に渡ったことがあったのです。

 私はこのときに、遥かな昔を思い出していました。39年の昔のことです。

 当日は東大闘争の真っ最中で、東大構内の教育学部と理学部の校舎を、日本共産党=民青が占拠しているところを、東大全共闘が奪いに攻撃をかけていたところでした。東大全共闘は、東大全部をバリケード封鎖したかったわけです。
 その闘いに、私も参加するはずなのですが、実は私は前日(だったと思うな)、自分の属するサークルの新年会で、飲んで頭から倒れ、頭を怪我しまして、この日は病院へ行っていたのです。それで、私はこの日の闘いには、遅れてしまいました。
 本郷三丁目から、東大正門を目指しても、もう赤門から正門前も、すべて機動隊がいっぱいで、構内に入ることができません。困ったなという思いで、私はこの農学部から入ろうと思いましたが、ここも機動隊が並んでいます。でも農学部前の門のところで、その機動隊の列が終わっていました。
 そこで、私は農学部へ入って、急いでこの橋を渡って、東大の本郷に入ります。急いでやっと安田講堂の前に着いたところで、約3分後、本郷の東大正門を破って、警視庁機動隊が催涙弾を打ちながら入ってきます。おそらく、日本共産党の部隊が追い詰められて、もう「これは、共産党を助けなくちゃ」と判断したものだと思います。
 たちどころに安田講堂前は機動隊の列が並びます。全共闘の部隊も一般学生も、雲の子を散らすように逃げました。ただ当日、教育学部を攻撃していた私の仲間は、「機動隊が来た」という声に、民青への攻撃をやめ、窓の外から下を見たら、機動隊の濃紺の制服姿でいっぱいだったと言っていました。
 その後彼も、催涙弾の攻撃を受け、顔を涙でぐしゃぐしゃにしていたら、東大生の学生が水道のところで顔を洗ってくれたといいます。そのあと、彼はノンヘルで、この安田講堂前の機動隊の前に、座り込みをしていました。
 私は、とにかく一人なので、どうにもなりません。そのうちに数時間が経過しましたら、まら機動隊が催涙弾を上めがけて打ち上げながら、安田講堂前の銀杏並木を列を並んで引き上げにかかります。
 私は、この日はすっかり出遅れてしまったわけで、北浦和へ帰りました。翌日また再び東大構内に入ると、今度は東大の本郷校舎はすべて日本共産党=民青部隊が制圧しています。全共闘の部隊が当日は駒場の教養部へ出かけており、この安田講堂には、数十名の部隊しかいません。でも安田講堂の見張りの全共闘の人が、私を入れてくれません。個人ですと、その人間がどういう人か判らないからです。
 それで困ったなと思いましたら、ある部隊が30人くらいでスクラムを組んで正門から入ってきました。中大全中闘の部隊でした。手薄な安田講堂を防衛のために来たわけですが、東大3丁目の駅からは、個人としてばらばらに歩いてきて、正門を通ってからスクラムを組んで、安田講堂まで急いできたわけです。私は「はっ」と気が付いて、この部隊にスクラムを組ました。偶然私と一緒に来た仲間が、そのときの中大全中闘の部隊の指揮者を知っており、それで私たちは、そのまま安田講堂に入りました。さきほどの、安田講堂の見張りの人も、私たちを見て、「よかったね」と笑顔でいました。
 それから、翌日の昼ごろまで、日共=民青の軍事部隊との長い闘いが始まりました。

 このあとの出来事は、私のホームページ内のどこかに書いてあるはずです。
 そして、そのあと私は1月14日から、さらに安田講堂で寝泊まりして、やがて19日に逮捕され起訴されて、しばらく府中刑務所に勾留されることになりました。
 そんなことを、昨日のこの橋の下を歩くときに、脳裏にしみじみと甦らせていたものでした。その橋がここに載せた画像です。



5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の3

08050508 さて、根津神社をあとにして、次の目的地へ歩きます。ポコ汰はベビーカーに入れました。もうお腹がいっぱいになっていますから、すぐ眠るでしょう。いつもポコ汰はお昼を食べたあと、3時間くらい眠るのです。
 でも眠らないで頑張っています。思えば、ポコ汰も、こんなパパとママ以外に、ブルータスおばちゃんも、ナオキおじちゃんもいるから、もう愉しいのでしょう。
 私たちは、根津神社から歩いて不忍通りを歩いて、言問通りを登っていきます。この写真は、不忍通りまで出る前に、この鳥を触ってポコ汰は喜んでいました。この鳥とポコ汰の写真をいくつか撮りました。
 fd0aaec5.jpgやがて、言問通りをあるくと、私には実に懐かしく思い出す橋が見えてきます。この橋は、東大の農学部と東大の本郷の本部を結んでいる東大構内の橋です。この橋が懐かしいのは、私はこの橋を1969年1月9日に渡ったことがあったのです。
 そこを越えて、やがて東大の弥生門の前あたりの弥生美術館と竹久夢二美術館に着きました。もうこのときには、ポコ汰はベビーカーの中で眠っています。
 ここで、二つの美術館を見ます。
 私は竹久夢二のことはずっと好きだったので、もっと早くから来たかったのですが、なかなか機会がありませんでした。それが初めて来られて実に嬉しいことです。竹久夢二は、荒畑寒村の親友でもあり、私には寒村翁はただただ好きな方でしたから、この夢二にもたくさん知りたいことがあったものでした。
 また、この弥生美術館では、高畠華宵の作品も見られると思っていました。高畠華宵も私は中学生の頃から好きでした。
08050517 左はここの入場券ですが、上は、(高畠華宵/君知るや南の国)とあり、華宵の絵が描かれています。「君知るや南の国」とは、この南の国とはドイツから見たイタリアであり、こう言っているのは、少女ミニヨンです。この絵の女性がミニヨンなのでしょう。
 ミニヨンは、ゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」の中に出てくる少女の名前です。「ウィルヘルム・マイスター」は、「修行時代」と「遍歴時代」という2部からなっており、その中に、このミニヨンの話や、「美しき魂の告白」(これは「ウィルヘルム・マウステル」の物語の展開とは関係ない話です)が含まれています膨大な物語です。私はゲーテは、「ファウスト」も好きで、今まで何度も読んできましたが、「ウィルヘルム・マイスター」も大好きな物語です。

 でも昨日は、この高畠華宵の作品はなくて、弥生美術館は次の作品展でした。

生誕百年 山川惣治展
  −戦後日本を勇気づけた「少年ケニヤ」−
「少年王者」や「少年ケニヤ」で知られる山川惣治は昭和20〜30年代を中心に活躍した絵物語作家です。密林の中で孤児となった日本の少年が、仲間に助けられ、共に闘いながら強くたくましく成長し、ついには王者となって森の動物たちの平和を護るという山川惣治作品に典型的なストーリー・・・最も弱かった者が、苦難を乗り越えながら最強の王者になっていくという展開は、敗戦後の疲弊した日本人に、希望を与え、立ち直る勇気をもたらしました。絵物語原画、戦前の紙芝居作品や若き日に描いた習作等、貴重な未公開資料を含む約400点による初回顧展。山川惣治の「冒険・愛・勇気」に満ちた世界をご覧ください。

 そして、竹久夢二美術館は、次の展示でした。

マルチアーティスト
   竹久夢二の七つの顔 展
 私は自分で単に「えかき」だとも思っていない。私は自分で単に「えかき」だとも思っていない。
「えかき」という商売はどうも好きではない。しかし、画を書くことは好きだし、世の中で為る事の中では、やはり一番真剣で深くなってゆけるし、この道はどの外の道よりも自分に適してもいるし、幸福だと思ってはいる。何かしら自分の技能で生活してゆくことも好いし、狭い人間生活のうわつらでうようよしないですむことも愉快だ。
        「私が歩いてきた道」『中学生』8−1(大正12年)

 生前はその職業を問われると、「画をかくこと」と応えていたという竹久夢二。その言葉どおり「画をかくこと」を天職とした彼は、雑誌の表紙を描き、本を装幀し、また、雑貨店の経営を試み、展覧会を企画するなど、得意の「画」を通じて様々な分野の仕事に挑戦してきました。この展覧会では、彼の遺した仕事を〈画家〉〈詩人〉〈批評家〉〈書家〉〈デザイナー〉〈プロデューサー〉、そして〈人間・竹久夢二〉の七つの視点から検証し、夢二を多彩な才能を発揮したマルチア−ティストの先駆者として位置付けます。

 この二つのことも、この二つの美術館のホームページから引用して、当日の私の解説書にプリントしていたものでした。

 かくして、ここの見学を終えて、もうすっかり眠っているポコ汰のベビーカーを押しているミツ君とともに、南北線の東大前駅から、王子へ帰ってきました。

 5月5日に谷中千駄木根津を歩きました へ



5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の2

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 浅野での食事を終えて、私たちは夜店通りに出ます。そして根津神社に歩くのに、最初は不忍通りを歩くつもりでしたが、たぶんあまりに多い人出でしょうから、夜店通りから続いているヘビ道を通ります。思えば、この路も私は随分昔から歩いていた道です。
 でもこのヘビ道も歩く方が大勢います。みなさん、この連休に、この街を歩かれているのですね。そしてこのヘビ道にも、いくつかのいろいろなお店が開かれています。
 ヘビを歩いていると、「あっ」と驚くことがあります。「あ、この店は私が30年前に飲んでいた店じゃないか。今もやっているんだ」と、その店のご主人の言葉訛りを懐かしく思い出します。
 ヘビ道から、右折して根津の街を歩くと、ブルータスが、「あ、この店で買って食べた」などと思い出してきます。私にも、根津もいくつも思い出してくる街です。

 そういえば、私はこの日のために、A43枚にて、この街で訪れるところの解説をプリントしていました。いくつかのインターネット上のホームページのどこかを抜き書きして構成したものです。
 根津神社のつつじ祭りには、以下のように抜き出していました。

 境内にある約2000坪のつつじ苑には、約50種3000株のツツジが咲き競い、甘酒茶屋、植木市、露天が並び、土日祭日には野点、箏曲、和太鼓、奉納演芸等、各種行事が執り行われます。
 見頃は4月下旬前後(その年の気候により、かなり異なる。)、種類が非常に多く、開花時期が違うため、早咲きから遅咲きへと花が移り変わり、長い期間様々なツツジを楽しむことができます。
 中には豆つぶほどの小さい花のフジツツジ、風車のような花弁のハナグルマ、黒ツツジと呼ばれるカラフネ等珍しいものも見ることができます。

 このとおりに、最初はつつじを見るつもりだったのですが、あまりにたくさんの人がいます。もうつつじ園に入りませんでした。でも、もう神社の中は露店もいっぱいです。神社の裏のほうまで行きますと、急に、ブルータスが金魚すくいがしたくなります。そこで写真のようにやり出します。
08050506 けっこう何匹も金魚をつかまえます。その金魚すくいの網で、続いてミツ君もやります。それでさすが紙が破れて、そのあと金魚は持って帰るのは3匹ということで、それをブルータスは持ちます。
 そのあと前にも見た猿回しを少し見ます。ブルータスは日光猿軍団のやっている方の「月収はこのくらいだ」なんていう話をしてくれていました。
 そしていっぱいの人の中、戻っていく中、私は、3匹の金魚が心配になりました。ブルータスは君津へ持って帰って、お父さんの家の池に入れるつもりですが、それまで大丈夫でしょうか。だから、私はあの金魚すくいの店に戻って、少し大きいはちを購入し、水をたくさん入れてもらいまして、そこへ3匹の金魚を移しました。
 そして、それをブルータスに渡しました。もうあの3匹の金魚は、今はどうしているかなあ。あの君津の家の庭の池で元気に泳いでいればいいのですが。
 そしてこの間、ポコ汰がお父さんのミツ君と手をつないでいる姿などを写真に撮りました。

 ここにある2つの写真は、金魚すくいをやっているブルータスと、ミツ君の姿です。

 5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の3 へ



5月5日に谷中千駄木根津を歩きました

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 3日の我孫子の ケヤキウインドアンサンブル第5回定期演奏会 で、私は次女のブルータスに5日は、ママと長女ブルータス家族の3人と、谷中を歩いて、根津神社につつじを見に行くことをいいました。そうしましたら、ブルータスとナオキ君も来てくれることになり、午前10時20分に日暮里駅で待ち合わせました。
 でも当日になりまして、ブルータスからのケータイで、二人は車で王子まで来てくれました。まだ10時よりもかなり前でした。
 二人は、長女おはぎの家に行きます。私と妻も、義母をデイサービスに送ったあとすぐにおはぎの家に行きます。10時少しすぎです。もうポコ汰が二人のおばさんとおじさんが来てくれたことに喜んでいます。
 10時20分くらいに出発します。王子駅は、エレベーターがないので、ポコ汰の乗るベビーカーが大変なのです。北口からエスカレーターで行きます。このことは、早急に王子駅にエレベーターを設置してほしいものです。
 電車に乗ってすぐに日暮里駅です。ただし、京浜東北線は、快速運転で、日暮里は止りませんから、田端駅で山の手線に乗り換えます。こんなときもベビーカーで少し大変です。
 それで、日暮里駅北口で降りて、谷中に向かいます。
 すぐに、ショコラティエイナムラショウゾウの店に向かいまして、このお店の中に入ります。娘にも二人の彼にも、ここのチョコレートは、予想よりも高額だったようです。この店で有名だというモンブランのことを聞きましたが、それはこの店から歩いて15分くらいの本店「パティシェイナムラショウゾウ」のほうにあるそうでした。
 ここで私はブルータスとその家族(お父さんとお母さん)にチョコレートを買いました。
 そこから谷中を歩きまして、夜店通りの千駄木「浅野」に向かいます。途中で階段のあるところがありまして、私がちゃんと認識していなかったので、羞しいことです。でもそこでは、おはぎママとブルータスに手を引かれて、ポコ汰はちゃんと階段を降りて行きました。
 階段を降りると、ポコ汰は、一人でトコトコ歩いて行きます。
 ちょうど11時少しすぎに、「浅野」に着きます。私たちは、全部で大人が6人で、あとポコ汰が一人です。奧の座敷にあがります。私の次女ブルータスのことを、女将さんは覚えていてくれました。ブルータスは、このお店の近くの汐見小に勤めていたことがあるのです(近いと言っても歩いて10分くらいかなあ)。
 それに、前にもこのお店に家族4人で来ていたことがありました。

   5月2日の谷中歩き(2004.05.31)

 そのときのことを、女将さんは覚えていてくれるのです。そのときは、4人だけでしたが(長女は結婚していましたが、この日は彼は仕事でした)、そのときから4年経ちまして、次女は結婚して、長女にはポコ汰という長男がいて、全部で私は家族7人になったのです。そしておはぎのお腹には、女の子ポニュちゃんがいます。二人の娘の彼は、私よりずっと背の高いいい男たちです。
 実はこの前日の4日に、私の後輩のS君が、このお店を夕方訪れていました。その報告をケータイメールでもらっていました。それで、その彼とのケータイメールのやりとりで、「浅野」が前日4日の日曜日は、昼は50人のお客さんが来てくれて、マスターたちは大変だったようです。今は河岸はお休みですから、前もってたくさん仕入れているわけですが、それでも大変なことです。以前から、昼はたくさんのお客さんが来ていましたが、とくに4月6日NHKテレビでの放映のあとは、実に大勢の方が昼に食事にお見えになるらしいのです。
 だから、大人6人の食事というと大変です。だから私は、前日の夜に、マスターに翌日5日は、6人で11時少しすぎにお店に伺うというケータイメールをしておいたものでした。
 私たちが座って、ビールを飲み出すと、すぐに6人のお客さんが来まして、私たちの隣に座ります。
 ポコ汰も、おはぎや用意していたお弁当を食べ出します。そしてもうポコ汰は、パパママとじいじ、ばあばと、ブルータスおばちゃんとナオキおじちゃんがいるので、実に嬉しそうです。ポコ汰は笑顔で、歩き回ってもいます。

 そんなうちに、私たちは食事を終えて、店を出ました。もう何人ものお客さんが店の中を見ていたことに私はきずいていました。大勢の方が、谷中千駄木を歩いていて、昼食の時間なのです。けっこう私よりも年上の方が多いのを見かけていました。
 思えば、こんな谷中千駄木は、実に身近なところで、歩くと愉しいし、こうした浅野のようなお店で食事できるのも愉しいことですね。

 5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の2 へ



周の『独楽吟のススメ』の101

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 本日06:00に届いていた破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2008/05/06 【No.1606】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 舞台に出ると 決めてから 三味線稽古の 熱入る時

月末の民謡コンクール、歌も歌うけど「ちゃっきり節」の合奏も出るのだそうです。がんば!

 私の娘二人も三味線ではないですが、三線をやっています。その演奏を聞くのが好きなのですが、でもこのごろずっと聞いていませんね。

たのしみは 日頃の愚痴を 子供らに 聞いてもらって ほっとする時

苦労して育てた甲斐がありました。いつもじゃないけど、ごくたまに 聞いてもらって エールをもらって帰ってくる。親が子供に慰められてる。逆だけどこれも良いんじゃないかな?

 うん、うちはね、私はいつも娘二人に怒られている感じです。いえ、怒る気はないのでしょうが、どうしても「パパねえ…………」と言いたくなるんでしょうね。

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わが家のおかあさん2008.05.06

9403f382.jpg きのう5日は、私の家族(私たち二人と娘二人の彼とポコ汰で7名)で、谷中千駄木根津を歩きました。根津神社も弥生美術館も竹久夢二美術館もたくさんの人でした。孫のポコ汰も写真のTーシャツを着て、谷中の食事した店の「浅野」でも、他のお客さんにも「あ、兄貴だ」「おお」と感心されていました。ちなみに、「おお」というのは、ポコ汰がいつでも声に出している感歎の声です。ポコ汰は、いろいろなお土産や美味しい食べ物に、いつでも「おお」という声をあげています。昨日夕方義母が帰ってくるときに、ポコ汰はお迎えに出ていました。トコトコと歩いて寄ってくる姿が義母にも可愛かったはずです。(05/06)


マガジン将門第404号発刊

87b31bf7.jpg 昨日5月5日午前0時台に、マガジン将門第404号 を配信しました。456部の配信です。これは5月3日午前6時台に予約配信していました。昨日6日は、このバックナンバーページを作成して、すぐに家族6人で、谷中千駄木根津の旅に出発したものでした。
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shomon at 05:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!マガジン将門 

2008年05月05日

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