将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

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20170810012017081002  今までの画像から替えました。今度からは由美かおるさんのお尻の画像です。私の大好きな画像なのです。でもここに掲げたランキングには由美かおるさんはないのですね。そうかそうなのだなあ。私はもうじじいなのかなあ。続きを読む

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2017080901 前に「ミツ君とおはぎが王子豊島まで送ってくれてそのときいいお話が聴けました」と書いていたのは、ポコ汰がポニョとポポの宿題を見てあげていることです。それがものすごく嬉しかったのです。
大昔おはぎもみーねえの息子の工作の夏休みの宿題を見てあげていました(我孫子の私の義姉の家で)。それで『「これはおばちゃんに見てもらいました」と先生にはいいなさい』といいました(正確には「おばちゃん」ではありませんが)。でもその時は賞もらって掲示されましたが。2017080901
でもいまでは懐かしい思い出です。
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20170808512017080852   この明石家さんまさんは1955年7月1日、和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡のお生まれです。私がいつもテレビで拝見していて、私の大好きなタレントさんです。
   そうだなあ。彼をテレビで見ていていくつものことを思い出すのです。20170808532017080854201708085520170808562017080857続きを読む

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今日は2017年8月8日火曜日です。もう朝6時を過ぎました。昨日おはぎも来てくれまして、ここのいくつものあとかたずけをしてくれました。まだまだいっぱいあります。実に何も役立たないじいじです。6日午後にアイスキャンデーが着いたことを言ってくれ感謝されました。続きを読む

201708060082017080600520170806006   タモリさんは1945年8月22日のお生まれです。大東亜戦争の終戦と同じ時期にお生まれになったのですね。福岡県福岡市のお生まれです。フジテレビの「笑っていいとも」で知りまして、長く見てきましたタレントさんです。今はNHKテレビの番組でもよく見ています。それが実にいい番組です。いつも「やっぱりタモリさんがいいのだなあ」と思っています。見ていて、日本てこういういいところがあるのだ、といつも思っています。
これからも彼にはおおいに期待して見ていきます。日本の戦後というのは、日本というのはこの人がいるからいいのです。しきりにそれを思います。
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2017080701 こうして月曜日になりました。今週の始まりです。一昨日はおはぎの家へ行きまして、おはぎ家族5人と越谷じいじ・ばあばと会えて、昨日はポポとおはぎママが来てくれました。
  それにケータイメールでポニョが私の贈りましたアイスキャンデーと写っていたので、ものすごく嬉しい周でした。201708070042017080702続きを読む

20170806014  私が今日依頼しまして、もう届きましたのは、「今日はおはぎの家へ行きます」で載せましたキャンデーです。私はこうしたお菓子は高校生の時から一切口に入れなくなりましたので、ただこうして食べた子どもたちの感想を聴くだけです。
でも喜んでくれると嬉しいです。
20170806015続きを読む

2017080604    今(14:13のケータイメール)で、アイスキャンデーとポニョが写っている写真のあるメールが来ました。私はすぐに電話しました。そこではポコ汰とお話して、すぐにポニョと会話しました。
   今朝はもうおはぎママとポポには会っていたのです。二人はここに来ていてくれたのです。ポニョとミツ君パパはプールへ行っていました。ポコ汰は一人で留守番していてくれました。20170806013
   ものすごく嬉しいです。

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2017080601    
  ばあばと私で日本交通の車で行ったのでした。ポニョの誕生日が8月2日でそれを昨日やることになり、私と王子ばあばで行きました。すぐに越谷じいじばあばも来てくれました。途中で王子ばあばは鍼治療にでかけました。もうみんなポニョへの誕生日プレゼントを出すのですが、私が予定したキャンデーが来ません。あとで調べたら、5日ではなく6日(つまり今日)に予約していたのでしした。とろい王子じいじです。
  でもミツ君とおはぎが王子豊島まで送ってくれてそのときいいお話が聴けました。あとでその内容を書きます。2017080602

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2017080313  今日(2017.08.05)はおはぎの家へ行きます。一緒に昼御飯を食べます。夕方私が依頼したアイスバーが届きます。あの孫たちがどう喜んでくれるか、ものすごく楽しみです。行くのはもちろんばあばも一緒です。ばあばにはこのアイスバーはありません。その時間は鍼治療に出かけています。もちろん私は食べません。
   下は娘たちのおはぎ・ミツ君・ポコ汰・ポニョ・ポポが私に買ってきてくれた沖縄のハンカチと星砂です。今日行って直接お礼をいいます。その時は一緒にお昼を食べるのです。孫たちに会えるのが楽しみです。またそのことはまたあとでここに書いて行きます。2017080342CIMG9538続きを読む

20170805012017080503    神奈川県横浜市で1966.9.10のお生まれです。そうか横浜市か、と親しい思いにもなります。私が横浜には4年くらい住んでいたからです。NHKの1986年前期朝ドラ「はね駒」のヒロイン役はずっと見ていました。懐かしい思い出です。昨日テレビで見ていて、あの当時から少しも変わらないのねと思ったものです。ただ子どもさんが3人いるのね。嬉しい思いになります。
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2017080413  ビートたけしさんは1947.01.18の東京都足立区のお生まれで、北野武という名で映画も作っています。
 明治大学へ入っていて(大学は除籍のようですが)、そのあと漫才をおやりでした。どんなに面白いなあとテレビを見ていたことでしょうか。私もテレビで一緒の画面に出たことがあります。懐かしいなあ。
 いまでも注目しているタレントさんです。
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201708032920170803302017080331   私の大好きなタレントさんです。1950年2月20日東京都東村山市のお生まれです。私よりお若いのだなあ。随分昔からテレビで拝見していました。そうか私よりもお若いのだ。
 私も元気にやっていかなくちゃあな。
 孫たちに教えなくちゃな。
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2017080411   ここのサイドバーでいくつものお尻の画像をあげています。みんな私の大好きな女優タレントさんです。ただどうしてもお尻はいいのですが、胸は躊躇してしまいます。
   昔テレビで浅野ゆう子さんが「半尻(ケツ)出しても乳首出すな」と言われたことを思い出すのです。
   それが私のホームページなのです。2017080412続きを読む

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2017080404    私は最初「ハンバ」と書いていました。当初は「飯場」と書いてはまずいのかと思い込んでいたのです。でもインターネットで見るかぎり問題ないようです。
「飯場」というところはいっぱい働いてきましたね。思い出せば、三年くらい前に友人と飲みました江ノ電の藤沢駅前で、懐かしく思い出していました。大昔仕事で働いていたことがあるビルがあったのでした。それは立派なビルになっていました。ただしもう古いビルですが。
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  この神戸は私の義父と義母のお墓があるのです。だからまだ書いていきます。もう懐かしく思うところがいくつもあります。
 娘二人おはぎとブルータスも、その彼ミツ君とナオキ君も、ポコ汰・ポニョ・ポポ・じゅに・ニコとも行きたいです。
2017080401続きを読む

20170803382017080339   沖縄で働いていたときは、いつも必ず泡盛とオリオンビールを飲んでいました。 さすが朝は食事をして仕事場へでかけ、昼食事のときは「午後ちゃんと仕事ができるなら」という約束でオリオンビールが飲めました。
 仕事が終わってまずオリオンビールを一本飲みそのあとは泡盛でした。私が毎日泡盛を開けるので、沖縄の人も飯場の人も驚いていました。当時は沖縄の人はまずい日本の大手メーカーの一升瓶のお酒がよかったようです。それが私が毎日泡盛ですから、驚いたようでした。いや何私は前々から泡盛は安い酒として大好きだったのです。
 ただその頃飲んだ泡盛はもう画像は手に入らなかったのです。
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201708031920170803152017080321   私は大学を出たあと(私は6年で卒業しました)、私の2年下と3年下の後輩とここへ行きました。もちろん学生運動の後輩とむつめ祭の後輩です。ただただ豚マンを手に入れたかったのです。それを口にもしたかったのです。私はもう就職はしていました。多分新幹線で行ったのだなあ。2年下の後輩は大阪の会社に就職が決まっていたのじゃなかったかなあ。
   それでとにかくここで豚マンを買いました。でも驚いたことに店で食べてもビールを飲むわけにはいかないのですね。思えばこれはあちこちで驚いていたことです。
  でも値段は安価でそして私たちはいっぱい土産で豚マンを手に入れ、さらに後輩たちに持って行ったものでした。
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  私はこの街が大好きです。元町南京町とは言わず「南京街」と言ってしまいます。おそらく横浜中華街より好きな街です(こう簡単には言い切れないですが)。
   なかでもある店の「ブタまん」が大好きです。この店もあとで紹介します。思えば横浜のように「肉まん」とは言わずどうして「ブタまん」というのだろうか。それが大きなこだわりなのだろうな。20170802272017080222続きを読む

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私の故郷である神戸の街元町を書きます。 これまで何度も行きましたものです。そして大阪とは違う神戸の街を感じてきました。
私はここに義父と義母のお墓があるのです。そのお墓のある街のことはまた書いていきます。
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2017080213  大阪の街の4番目です。これは「じゅうそう」と読みます。
201708021420170802152017080217    私の同じ大学の後輩(これも元活動家)が北海道へ行って、旅行で出会う大阪人に嫌になっていました。北海道で会う大阪人がその本物の量・人数より数倍多く見えた(思えた)のです。若い女の子も多かったのでしたが、「えげつない」という言葉 がいっぱい聴こえたようです。
  もう彼はこの時から大阪人が嫌いになったようです。この彼の偏見はいけないけれど、私には十分にわかるのですね。これが私たち関東人に多く見られてしまう大阪人への偏見の姿なのです。
 あ、ここの写真は大阪十三の街です。
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2017080202022017080201   そこは米軍用の飲み屋でした。私が飲んでいると、米軍の兵士が隣に来て私は飲んでいるビールを勧めましたが手を振って断りました。彼は22歳でしたが、まだ飲めなかったのです。彼は私にハンバーガーを勧めましたが、私は好きではないので遠慮しました。すぐに彼は帰りました。
  そうするとそこのママがいうのです。「米兵(アメリカヘイ)って可哀想ね」と。彼はそこのママに自分のテキサスの母親に手紙を書いてもらうのです。もちろん、ママは米語で書くのですが、その米兵はまったく字が書けないのです。だからそのママに頼るのです。
   こんなことで、沖縄の人は米軍をバカにしていました。実は私たち本土から来る人もバカにしていました。すぐにシャッ等を脱いでしまうからです。沖縄に着いて言われたのは、「やたらにシャッを脱がないこと」です。それでも脱いで働いていると、沖縄の人が「脱ぐとかえって暑いのだ」と教えてくれたものです。
   しかし暑い現場で肌を見せてしまう私たちは、本当にバカだと思われたでしょうね。そんなことばかりが続いたのです。
   それと言われたのがやたらに脱いで海で泳がないことです。私は最初に海で泳ぎました。二日酔いにはちょうど気持ちがいいのです。これまた注意されました。「やたらに肌を出して海に入らないこと」をです。これは私たちはすぐにしてしまうことでした。それと・・・、いっぱいありましたね。
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   私は、この娘(こ)のことを「素敵なお尻だなあ」と思い、こうしてUPしましたが、もう前に将門Webに上げているのですね。情けないです。とにかく、ここのサイドバーに上げます。
  こういう情けない状態が私なのです。
  でもとにかく素敵な娘です。それで許してください。
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2017080114201708011320170801012017080102  今は7時50分です。今週の2日目です。
   さあ、実は記憶を取り戻すかなあ。それを私は大いに期待します。

   もう始まりました。
   みね子が語ることで、私はまた涙です。
   今テーマソングです。
   なんか悲しいなあ。どうしてか悔しいです。
  4人で話し合うといいことです。私も泣いているばかりではいけないです。
   鈴子はいいなあ。
  でもみね子が手紙を書きます内容に悩むことはよくわかります。それでも書いてほしいのだ。アパートのみんなはいいなあ。
   和菓子店の二人、中華料理屋の二人もいいなあ。二人の漫画家志望者もいいです。みんな優しい。
   久坂早苗はどうなのかなあ。
   なんか悲しくてなりません。でも嬉しいことも感じます。
 川本世津子はいい。  
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20170801012017080106   この沖縄本島(今回おはぎ家族5人が行ったのはここです)は東シナ海は奇麗な海なのですが、太平洋は粗い海なのです(以下の海は奇麗ですが)。
  私はここで働いていたので、それが実に分かるのです。そういえば米軍基地もあり、米兵はベトナム戦争で実に忙しそうでした。米兵用の飲み屋で毎日起きるトラブルには日本の警官では抑えられられずにMPが実弾で警戒していたものです。2017080108続きを読む

   私はこの詩を何度も詠ってきました。
2017080103
    正氣歌 廣瀬武夫
死生有命不足論 死生命あり論ずるに足らず
鞠躬唯應酬至尊 鞠躬唯応に至尊に酬ゆべし
奮躍赴難不辭死 奮躍難に赴きて死を辞せず
慷慨就義日本魂 慷慨義に就く日本魂
一世義烈赤穂里   一世の義烈赤穂の里
三代忠勇楠氏門   三代の忠勇楠氏の門
憂憤投身薩摩海   憂憤身を投ず薩摩の海
從容就刑小塚原   従容刑に就く小塚原
或爲芳野廟前壁   或は芳野廟前の壁と為り
遺烈千年見鏃痕   遺烈千年鏃痕を見る
或爲菅家筑紫月   或は菅家筑紫の月と為り
詞存忠愛不知冤   詞忠愛を存して冤を知らず
可見正氣滿乾坤   見る可し正気の乾坤に満つるを
一氣存磅薄萬古   一気磅薄万古に存す
嗚呼正氣畢竟在誠字  嗚呼正気畢竟誠の字に在り
呶呶何必要多言   呶呶何ぞ必ずしも多言を要せん
誠哉誠哉斃不已 誠なる哉誠なる哉斃れるて已まず
七生人間報國恩  七度人間に生まれて国恩に報いん

   以下は彼が結婚する約束をしていたロシア人令嬢のアリアヅナ(アリアヅナ・アナトリエヴナ・コワリスカヤ)です(左は武夫が父母にこの女性を紹介した葉書)。前にもここにあげていますが。
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2017080101    8月1日です。2017年(平成27)8月1日です。昨日おはぎから沖縄旅行から帰ってきたという電話がありました。その時はばあばが長く話していて、電話を終えて切ってしまったのです。そのあと、私がまた電話しました。最初はミツ君で、次はポニョで、その次はポポで、最後はポコ汰でした。3人とも沖縄の海は楽しかったようです。
 私も思い出しました。東シナ海は実に奇麗な海なのですね。懐かしく思い出します。私へのお土産の星砂は忘れていないようです。また手に取ったらここに撮りましてあげてみます。2017080102

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2017073121  どうしてもうまくUPできないので、もう一度やります。なんか情けないなあ。私は彼の「正気の歌」は詩吟でも何度も詠っていますから、大好きなのですが(私は『文天祥「正気の歌」』も私の大好きな詩です)、どうにも困りはてています。ただし、『文天祥「正気の歌」』はまだ人の前で詠ったことはありません。2017073006
2017073122   この時は広瀬武夫のこの行動のときには、戦後日本に進駐したダグラス・マッカーサーの父親がすぐそばで観戦しているのですが、それをNIFTYの「戦前戦中ファーラム」で「それは父親ではなく、マッカーサー本人ではないか」という昭和一桁の女性がいて、本当に困りははてました。すぐに私より10歳くらい下の方が説明してくいれて、彼女も納得したものです。
   この時は困り果てたものでした。彼女の方が年上だし、分かっているはずのことなのです。2017073123
    前にUPしたものには、広瀬武夫の恋人ロシア人令嬢の写真があります。広瀬武夫はロシア語は完璧にできたのです(読むことだけではなく、書くことも完璧でした)。そして彼女と結婚する約束だったのです。それができなかったのは非常に悔しいです。それと彼が両親に送った葉書も載せました。結婚する約束のロシア人の彼女を説明するのに、彼女が日本の衣装を着ていますね。仕方ないのです。こうして説明するほうが分かりやすいのです。
  それとここには広瀬武夫が救助に行きました杉野孫七の像(写真)も載せました。彼は日露戦争から長い間姿を現せませんでした。大東亜戦争の戦後になって姿を見せることができたのです。彼もまた大きな被害者でした。
2017073124  それと広瀬武夫の「正気の歌」も載せます。すべての語句ではありませんが。前に「周の漢詩塾」にはすべて載せています。
  以下は数年前に行きました神田明神です。いつも私はここで平将門様と広瀬武夫を思い浮かべています。
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2017073103  長く書いていないので、また別に書きます。大阪のもう一つの街とは十三の街です。
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20170731022017073105  私はこの方は大好きです。前々からとっても奇麗なかただと思ってきました。1969年9月29日大阪府箕面市のお生まれです。そうかでも大阪なのだなあ。いや大阪人でもこんな素敵な方がいるのだ。改めて私の偏見ばかりの生き方・見方を反省するものです。
   私の人生を改めて見直したものです。
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2017073101  昨夜は21時に眠りましたが、今朝は3時30分に起きました。もう眠ってはいられないのです。もうこんなことばかりです。続きを読む

2017073013     この3人です。歌手のコムアイ、女優の二階堂ふみ、ダンサーの菅原小春です。この3人の会話は良かったです。ばあばと熱心に見ていたものです。
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次は「がっちりマンデー」です。20170730152017073016



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20170729012017072921   なんか私は不満です。どうしてこんな毎朝見ている朝ドラのところにもこうして「記憶喪失」ということが使われるのだろうか。私なんか、毎日飲んで記憶を失います。だけど、それは『「記憶喪失」という病気とは違う』とインターネットには明確に書いてあります。
 でも私はこの毎朝見ているドラマでそういう手法が使われることに大いに不満なのです。
「自分の口から出る茨城弁に嫌になって姿を隠した」という方がいいよなあ。 
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2017072904     大事なのは、常時私のリュックサックにつけられるものです。ここの私の部屋に置けるものではなく、常時私が持っていられるものなのです。これは大事なことです。「私の部屋に置ける」のは、今現在はあるのです。私はいつでも常に故郷を感じていたいのです。20170729062017072905

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20170729012017072902  昨日おはぎ家族5人が沖縄に行くので電話しましたが(7時代に)、もう出ませんでした。もう出かけていたのでしょう。
   私は電話もしたし、ケータイメールもしているのに「何で私にはメールがないのだ」と不満です。でもそのメールには上中里駅のホームで写っているポコ汰・ポニョ・ポポ・ミツ君がいて(撮ったのがおはぎママ)、もうとっても嬉しいものでした。ポコ汰・ポニョ・ミツ君は笑顔でポポはいつもの怒っているような顔で(わざとそういう顔をするのです)、もう嬉しいばかりです。私はいつも「ポコ汰!」と心の中でいい、あわてて、「私にはポニョ・ポポがいるのだ」と言っているのです。これはいつも毎時間何度もです。
   今回も同じでした。でも「何でばあばばかりにのメールなの」と不満です(これは私のケータイメールがおはぎに着いていないからです)。仕方のないことなのです。そのあと沖縄本島からもばあばにはメールがありました。私は不満ですが、当然嬉しい気持ちもあるのです。
   あとでまたケータイメールをだしてみます。
   私には沖縄も私の故郷なのです。2017072903続きを読む

201707281220170728012017072813201707281420170728152017072816201707281720170728022017072821201707281820170728202017072819201707282220170728232017072824続きを読む

2017072808   私はこれを新田(にった)と読んでいました。新田義貞のためです。実際に新田(にった)さんにもお会いしています(この方は鹿児島市の人でした)。星砂の竹富島でもこの新田さん(上に書いた新田さんとは違います)のところへ泊っています。今では新田荘として有名なようです。
   思えば徳川政権も新田義貞の関係の子孫だといわれ、徳川家康は「源氏」(新田義貞一族は源氏ですから)だと言われていました。
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  でもここ王子に住んでみて、歩いていけるところに新田(しんでん)というところがあったときに驚いたものです。
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2017072806
   きょうから、おはぎ家族5人おはぎ・ミツ君・ポコ汰・ポニョ・ポポが沖縄旅行に行きます。 
私が前に行きましたときに石垣島から竹富島まで舟に乗ったときに、「あなたたち、泊まるところあるの?」と声をかけてくれたのが新田さんでした。そこで私たちは彼の新田荘へ泊ることになったものです。この竹富島は星砂の島として当時から知られていたものでした。
   それでおはぎ家族には、これをお土産に欲しいのです。ここにあるように、これが直接とめられればいいのです。私の毎日背負うリユックにつけるのです。前には、おはぎ・ブルータス・ばあばが沖縄のブームのコンサートへ行ってお土産でもらったのですが、このように何かにつけられないのです。だから私のすぐそばに置いておくだけなのです。私は常に私のそばにあってほしいのです。これなら私のリユックサックにつけておけるのですね。それが私の希望です。
 沖縄は私の故郷なのです。
2017072807続きを読む

2017072805      毎朝見ています「ひよっこ」のテーマ曲を聴いていまして、私が以下のように書きました(コピーです)のですが、

『話題になった歌い出しの歌詞の「リル」ですが、どうやら人名のようです。歌詞が公式に出る前は「愛のことばを射る」と思った人も多いようですが正解はリルでした。昭和初期に流行した、「上海帰りのリル」という歌からの引用ではないかと推測されています。』2017072804
 それでこの「上海帰りのリル」をここに書いてみました。私が好きな歌です。そしてよく唄う歌でもあります。
2017072801
歌  上海帰りのリル
歌手 津村健
作詞 東海林寿三郎
作曲 渡久地正信
編曲 林伊佐緒

船を見つめていた
ハマのキャバレーにいた
風の噂はリル
上海(しゃんはい)帰りのリル リル
あまい切ない 思い出だけを
胸にたぐって 探して歩く
リル リル 何処(どこ)にいるのかリル
誰かリルを 知らないか

黒いドレスを見た
泣いていたのを見た
戻れこの手にリル
上海帰りのリル リル
夢の四馬路(スマロ)の 霧降る中で
何も言わずに 別れた瞳
リル リル 一人さまようリル
誰かリルを 知らないか

海を渡ってきた
ひとりぼっちできた
のぞみ捨てるなリル
上海帰りのリル リル
暗い運命(さだめ)は 二人で分けて
共に暮そう 昔のままで
リル リル 今日も逢えないリル
誰かリルを 知らないか
2017072803
   出だしからすべて唄える歌でもあります。また唄った歌手の津村健さんも声も顔もよく思い出します。そうなのだなあ。もう懐かしくてたまりません。津村健(1923年12月12日〜1961年11月28日)さんは、富山県のお生まれなのですね。いくつものことを思い出します。
2017072802


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