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 私がこの「おおいなる誤解」と題して書き込んだ掲示板があります。
 1968年全共闘だった時代 の 1968掲示板 に書き込んだのが、以下の「***」にはさんだとこころです。
 ここに掲げた写真は、そのTOPページの写真です。
 このサイトは 掲示板過去ログ集(1) にも私の書込みのログが残っていますが、私の大好きなホームページです。
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おおいなる誤解 投稿者:周  投稿日: 1月20日(木)06時51分47秒
 
 些細な誤解 投稿者:催 涙太郎  投稿日: 1月19日(水)02時54分28秒
 
 読んでいまして、「これはなんといい加減なことを書かれているのかな」という思いで、書込みます。
 私は萩原周二と申します。ハンドル名は周です。私のホームページに私のことはいろいろと書いてあります。 それから催涙太郎さんとは私は面識はないかと思います。少しきつい言い方になりますがご勘弁ください。
 
 早稲田の学生さんを始め、当掲示を見ている後輩の方々の誤解を解きたい。
 
 こう言われますが、あなたの書き方だともっとまったくの間違いの誤解をしてしまいます。
 
 徹底抗戦を公言して東大各校舎・建物に分散立てこもった各集団は、東大全共闘との立場ではなく、(日共と革マル以外の)各全学連セクトが場所取りをして割り振ったものである。安田講堂は中核派が占拠した。
 
 これはたしかに各セクトと東大全共闘が各建物を割り振ったのは間違いないです。列品館はML派、法研が中核派と4トロ、医学部中央館が社青同解放派と東大全共闘、法学部2号館が革マル(パクられ要員、かつ他のセクト及び東大全共闘の手前、20名に満たない人数を残しました。ただし、機動隊には一切抵抗していません)でした。そして一番大きな建物である安田講堂には、全党派と東大全共闘がいました。人数としてはブントが一番多かったです。全党派というのは、私はどこにどういうセクトがいたかよく覚えていますが、とにかく弱小党派まですべていました。フロント、安保共闘(昔マル戦派だったという)、プロレタリア軍団などもいました。なんと社青同協会派もごく少数いました(なんでいるんだ、と当時思ったものです)。私が覚えていないのは、プロ学同と共学同が居たかが確認できないのですが、もちろんいたようです。その他の大きなセクトはどこもたくさんいました。そしてもちろん、東大全共闘もいましたよ。全闘連の今井澄さんは、メットはML派の色でしたが、とにかく東大全闘連というメットをかぶっていました。
 私は11日の夜から、19日逮捕されるまで、安田講堂にいました。だから講堂内で、どんな会合があったか、どんな動きがあったかよく覚えています。社青同解放派は、秩父宮ラクビー場で大量にパクられていたので、人数が少なく元気がありませんでした。ブンドはなんでも、関西からたくさん動員したので(しかも彼らは鉄パイプではなく、鉄棒で武装していたな)、このブントの一部が講堂で集会をやっているときに、解放派がヤジをしたのだけれど、そのヤジに「なるほどな」なんていう思いをしたことがあります。
 中核派は、最初それほどの数がいないくて、ブンドから「中核はやる気あるのか」なんて責められていました。ただ15日をすぎて、とくに16日あたりから全国から動員された連中がたくさんきました。この中には、催さんの言われる「立てこもり要員」がいたのは、私も認めます。
 ただ、私は埼玉大学でしたが、その仲間やその周辺にいた連中は、「ここでパクられると最低6カ月だってよ」というのはみな判っていました。だから、どうしても逮捕されたくないものは、17日夜に安田講堂から出ました。このことでは、思い出のあるエピソードがあります。また私のホームページで披露しましょう。
 以上のようなことで、催さんの言われることは、「些細な」ことではなく、おおいな誤解です。こういう誤解から、また若い諸君が私に質問してくると、もうその誤解をとくのに非常に面倒です。非常に迷惑です。
 
 普段は、正面に「東大全共闘」と書いたヘルメットを着用しておきながら、大きな集会では、大多数が各セクトのヘルメットを着用するカメレオン連中の変わり身には失笑した覚えがある。
 
 失笑されようとなんだろうとどうでもいいが、日大全共闘と並んで東大全共闘も、全共闘として存在していたのは事実です。東大闘争もまた大事な闘争でした。そしてセクトがやってきた闘争ではありませんでした。
 
 68.11.22に東大安田講堂前で開催された「日大=東大闘争勝利・全国学生総決起大会」が良い証拠となろう。デモ参加した者なら誰でも、学部単位の全共闘ヘルメットを着用していたのは日大のみで、他総ては、各代表セクト・ヘルメットで埋め尽くされたデモ列しか存在しなかったことを体験しているはずだ。
 
 これもまた、この日東大全共闘の隊列があったのは、あの日この闘争に参加したものは、見聞した体験をしているはずです。69年1月15日の東大闘争労学総決起集会では、また東大全共闘の長い隊列があったのは、誰も知っているのではないですか。私はこの15日は、安田講堂の一番上の屋上にいましたが(一番上の旗の見張りをしていました)、屋上に寝そべって集会を見ていましたが、東大全共闘の長い隊列も見ています。
 ただ、1月17日の夜、東大全共闘の長い隊列(ノンヘルの学生もいっぱいいました)を見ながら、「なんでこんなに全共闘はいるのに、なんで籠らないのかな。お前らの大学なのに」なんて、みんなで話していたものでした。
 
 それを伝え、証明する些細な、また、詳細な記録が残されていない現状。残していない我々。否、消されてしまっている現実。皆さんが誤解するのも無理はないと思うけどね。
 
 こうまで書かれるのなら、また別な誤解を作るようないい加減なことを言わないでいただきたい。
 私は日大全共闘の闘いには敬意を持っています。その隊列に入って闘ったこともあります。ただ、なにかあの時代の闘いにたいして、日大全共闘が全共闘として正しく闘い、東大全共闘は、全共闘ではなく、ただセクトがやっていたような書き方は嫌になります。また各セクト内でセクトのメットをかぶって闘っていたものにも、みな私たちと同じ気持は持っていたと私は確信しています。
 そういえば、私が安田講堂内に最初に入ったのは、中大全中闘とでしたね。中大も全共闘としてよくやっていたではありませんか。我が埼玉大学も、全共闘こそ作りませんでしたが、あの時代よく闘っていた、闘いの先頭に立とうといつも頑張っていましたよ。
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 この私の書込みのあと、いくつかの書込みがあり、それにたいして、私もレスしました。それが以下の書込みです
 
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いくつかのレス 投稿者:周  投稿日: 1月22日(土)17時14分44秒
 
「皆様より少し年下の者」さん、申し訳ないのですが、
 
 そもそも、催さんやその他の人々がどこのセクトがうんたら、とか、どこで何やってたかとか、細かいことって、そんなに重要なのでしょうか??
 
 私には、そういう「細かいこと」も、大事です。これは私のつまらない性格なのかもしれません。でももうこの年ですからもう変らないでしょう。この私のくだらない性格は、別に自分たちの体験した学生運動のことに限りません。仕事でも同じです。好きな酒の味へのこだわりでも同じです。好きなヤクザ映画の話でも、プロレスの話も同じです。
 そして私は同じような姿勢でずっと生きてきました。だから、今も仕事の上でも、このホームページでの発信でも同じことを続けています。
 再びいいます。申し訳ありませんが、私には、「細かいこと」も重要です。
 
 それから催涙さん、きつい言い方をしてごめんなさい。いつか飲む機会があれば、そこでまた言い合いしましょう。なんだか、私たちより若い世代が、私たちのことを「酒飲んで、昔の自慢話で盛り上がっている」ばかりだなんて言われるのですが、私にいわせりゃ、そりゃそうだよ。嫌だったら、私たちに無関心でいればいい。もっと言わせてもらえば、君達も、そういう思い出話で、酒飲めばいいじゃないか。ただし、私には関心がないよ。
 でも、私も私たちよりも若い世代でも、実に愉しく私たちと話せたり、一緒になにかをやってくれた人たちをたくさん知っています。
 薮さん、メールいただきましてありがとうございます。ただ、私はあのメールを削除してしまったのです。私は毎日約500通のメールを3つのパソコンで受取っています(必要なのは30通くらい)。それで、このスパムメール対策を気合い入れてやっているのですが(2つのソフトを使っています)、薮さんのをサーバーから削除してしまったのです。ただし、サーバー上のメールを読めるようにしていたので内容は読めました。ただ、もうそれに返信ができないのです。ごめんなさい。
 今度また私のスパムメール対策を、私のメルマガに書きます。今どこでも誰でも切実な問題ですものね。
 それから、こうしてレスが遅くなり申し訳ありません。実は、私も今はやりのブログをやろうということで、必死でした。そして昨日オープンしました。以下です。
 
   周の発言
 
 これをやる過程で、「これはすごいものだ、いいものだな」と確信しました。これから、私のクライアントや友人たちの個人にこれを勧めていきます「あの彼女、あの飲み屋のママ、あの酒のみの彼」、みんなに勧めます。いえ、みんな私と同じ年代で(かなり年下もいるけれど)、何故かパソコンやインターネットが苦手というのですね。
 それから上のブログは、携帯で、書込みも画像のUPも、閲覧も自在にできますよ。これがいいですよ。
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 以上の私の書込みにたいして、以下のような匿名の方からの書込みがありました。
 
(無題) 投稿者:通りがかり  投稿日: 1月22日(土)20時29分59秒
なんだ、このBBSは、「酒飲んで、昔の自慢話で盛り上がっている」だけ、だったのですか。管理人さんの文書などを興味深く読ませていただき、あの時代の意味を探っていこうとする、「探求の心」を何気なく感じ取っていたのですが、それは、私の勘違いだったようです。残念です。
 
 思えば、パソコン通信の時代からインターネットの掲示板も、こういういわば書き手を揶揄したような、攻撃したような匿名の書込みをする輩が多いものでした。こういう書込をされると、もう私はここには書込みたくないなあ、という気持になります。だから、もうこうして自分のブログに書きます。そしてこれを 1968年全共闘だった時代 のこの箇所にトラックバックするところなのですが、残念ながら、ここの管理人さんは、ブログをやられているわけではありません。だから、私はこういう形で、ここに書きました。私はもういくつもの掲示板への書込みは、すべてこういうようにしていきます。
 おそらく、この「通りががり」とかいう匿名の人も、もし自分のブログで、この私の書込みにトラックバックするとすれば、こういう書き方はできないはずです。トラックバックというのは、自分のブログに書くわけなのですから。
 まさしく、自分の部屋に、匿名で落書きなんていうことはできないでしょう。
 私が、もう今までのインターネットの掲示板よりも、今のブログのほうをはるかに評価することの一つがこのことです。