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 昨日は、長女おはぎの絵が展示されている「第24回ABU展」に行きました。会場は、丸の内線の本郷三丁目の東大赤門前の「画廊タンギー」です。妻と二人で行きました。次女ブルータスは彼氏の実家へ行きますので(なんだか、三線を持っていくということで、お母さんに三線をきかせるのかな)、妻と常磐線で行きました、千代田線から丸の内線に乗り換えて行くところですが、義父が王子から来るので、南北線の東大前で待ち合わせました。おはぎとは駒込駅で待ち合わせました。
 常磐線を日暮里駅で、降りる寸前、私は中吊り広告に目がいきました。ほんのわずかの瞬間です。それがここに載せた画像です。
 私は、「無言館」と「東京ステーションギャラリー」ということばのみ覚えました。
 
   あ、無言館」といえば、………………………………
 
ということで、私は思いだしたのです。
 私は おおいなる誤解 で書きました 1968年全共闘だった時代 で、この「無言館」のことが書いてあるのです。私はこの「1968年全共闘だった時代」の中で次の絵を見たときに泣きました。
 
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(この絵をここに直接出しますと、大きすぎて、このブログではうまくいかないのです。ですからこうしてリンクしました。見てみてください)
 
 もう涙が出て仕方なかったのです。このことについて、以下に友人と私のメール交換が以下にあります。
 
 
 この中で、以下のように友人が書いてくれ、私が応えました。
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「2003/無言館」見ました。
 まったく根拠のない印象なんですが、全共闘運動って、親の世代の戦争体験の追体験かもしれないと感じた事があるのを思い出しました。
 何か共感のつながりがあるような感じです。
 
 私もいつもこのことを思いますよ。私の親父が東大闘争で、家族会をやったときには、みな家族会はそんな感じだったようですよ。戦争体験者で、実際出征した親たちが多かったようです。親父は、そのずっと前から靖国神社で戦友たちと会を作ってやっていましたが、同時に当時の国家のやり方に反抗する私たちにもシンパシーを覚えたようです。私も「なんだ、ようするに俺と同じじゃないか」なんていうところですね。
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 私は今回もこのことを思いました。
 
 おはぎの「第24回ABU展」を見たあと、義父と4人で食事したあと、私は妻とおはぎとで、このステーションギャラリーへ向かいました。義父は、義母が待っていますので帰りました。
 
 そしてステーションギャラリーへ着きました。私が一番不安だったのは、この絵画展で私が声をあげて泣き出してしまうことです。私はときどき、あちこちで号泣してしまうので、わざとらしくて(ええと私自身はわざとなんかやっていないのですが)、羞しくて嫌なのです。
 ですから、妻ともおはぎとも離れて見るようにしました。
 でもでも、やっぱり、最初の絵から涙がにじんできます。でも声を出さないようになんとか我慢しました。でもでも、また何枚かの絵を見ると、もう駄目なんです。私より年上の方が涙出されているのも感じました。ついに私は声を出して、泣いてしまいました。ハンカチを出して、しばらくないて、どうやらおさまりました。私は普通に泣き出すと、周囲の方に大迷惑です。
 一旦泣きますと、それですむのでしょうか、なんとかすべての絵を見ることができました。
 絵を描いたほとんどの戦没兵士の方は大正生まれです。明治41年と45年生まれの方がいました。大正3年から大正12年生まれの方たちばかりでした。みな戦地(大陸や、南方戦線が多かったです)で、戦死されたり、病没されたりしています。私の父は大正2年生まれです。私は父の姿を見るように探すように見ていました。「あ、この方はほとんど戦争ばかりじゃないか。好きな絵を描けたのはほんのわずかだ」とか、「え、この方は結婚したと言っても、数ヶ月のことじゃないか」とばかり確認するように見ていました。
 ………………………………、何と書いたらいいのでしょうか。もうたくさん言いたいことがあります。戦争は絶対に許せない。許さない。だけど、私はあの戦争を、ただの侵略戦争だと、非難する輩にもやっぱり許せないものを感じます。いや、このことはまた別に書くべきでしょう。
 
 この無言館は、長野県上田市にあります。公式ホームページはないようですが、検索すればいくつものサイトがあります。でも、ここに簡単にいくわけにはいかないですね。それが、来月3月21日まで、この東京駅の 東京ステーションギャラリー で開催されています。ぜひ見ていただきたいですね。