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 今パソコンの前に座っていますが(まあ、私は自宅ではいつもここですが、そういえばもう晩酌もやらないから、ここか、ベッドで眠るか、お風呂の前で、洗濯していることくらいかな)、テレビから、紅白歌合戦が聞えてきます。私は驚いてしまいます。

 私が紅白歌合戦をテレビで見た最後は、高校3年のときです。大学1年のときは、たぶん当時のバス代値上阻止闘争やその他の闘争で何かやっていました。大学2年のときは、北浦和の下宿(というよりもアパートですね)で、一人でたぶん、本を読んでいました、もう当時は東大闘争やいろいろありまして、忙しかったのですが、このときの大晦日だけは、一人で下宿にいました。たぶん、「孫子」と「呉子」を読んでいましたような記憶があります。
 大学3年のときには、ちょうど私は埼玉県の朝霞署の留置場にいました。この31日には、留置場に、被疑者が私の他は3人しかいませんでした。3人ともたくさんのことを覚えていますよ。顔も声も思い出せます。
 この日、留置場では、紅白歌合戦をラジオで聴かせてくれるのですが、たしか11時に近い頃、当日の看守は、「もうラジオ切ろうか」と私に小声で言ってきました。私以外の3人は眠ってしまっていたのでした。ああ、たくさんのことを思い出すな。埼玉県警は毎日の夜の看守は、みな若い交番の警官が交代でやっていました(これは警視庁とは違いますね)。もちろん、年取った警官も来ましたね。私はその人と話したこともこと細かく覚えています。

 大学4年のときは、当時の彼女と横浜中華街にいきました。5年と6年のときには、私の下宿に大勢の活動家仲間が集まりました。みんなで愉しく酒を飲んでいました。
 そして、翌日元旦には、私の彼女が着物姿で来てくれて、そして彼女の家に言ったんじゃなかったかな。5年のときの1月2日に、私の母が来まして、私の彼女が、「お母さんがいらしたわよ」と私を起こしてくれたものでした。

 そのあと、社会に出てからも、この大晦日には、私の下宿でみなで飲んでいたような思いがありますね。
 そしてそして、それからの毎年の大晦日も、私が何をやっていたかはよく思い出せます。でもでも、家庭ができて、子どもができてからも、この大晦日の日の、この紅白歌合戦は何も覚えていないのか、思えば、それはただただ酒を飲んでいたからですね。酒をひたすら飲んで、自分勝手なことをやっていたのでした。そう、それが昨年までです。
 今は、断酒しましたから、何故かこの大晦日の夜がそのまま、今はっきりしてしまいます。なんだか、つまらないなあ。つまらない私だなあ。

  写真は29日に撮りました、ドラゴンボールの悟空と誰かです。