2006年08月03日
雑誌からネットに移った“バカ記事”の主導権
今まで既存メディアが優位性を保っていた部分においてもネットが力を持ちつつある――最近、このように感じ始めている。以前から語られてきたネットの優位性というのは「速報性」とか「検索の利便性」とか「無料」であるといった、どちらかといえば機能性に依拠した部分が多かった。不特定多数による発信というのも大いなる利点だと思うのだが、メディア論的に語られる時、これらは、たびたびマイナスファクターとしてとらえられるケースがあった。
要するに「書いてある中身に関しては、新聞とか雑誌といった既存メディアにはかないっこない」こんなスタンスだったわけである。しかし、単純な記事のクオリティーにおいても、ネット上のもののほうが勝るケースが増えてきたように感じている。そのひとつが“バカ記事”である。(2006.08.03)
この「バカ記事」ということについては、引き続き説明されています。実は私も意味が判りませんでした。私もただのおじさんだものなあ。
誤解なきよう先に説明しておくと、ここでいう“バカ記事”とは、エンターテインメント性が高い娯楽記事のことである。例えば往年の「VOW」とか、また例えば杉作J太郎さんのコラムとか、「読んで何か得があるの?」と聞かれると「別にない」って感じだけど、単純に楽しい――そういった記事のことである。
これで私もすぐ判りました。
それで、こうした記事が、今では雑誌からなくなってしまったというのです。それは
その雑誌が面白いのかどうかよりも、「その雑誌は広告取れるの?」ってことが先行しだした。面白い記事が作れる編集者よりも、クライアントとつながっている編集者のほうが重用されだした。そのどっちがいいかについては、ここでは論じないが、読者を笑わしたところで「だから?」という風潮になってきて、雑誌からはバカ記事が消え去ってしまった。そう感じている。
まったくその通りですね。
これではまったく雑誌が面白くありません。たしかに、雑誌を読んでみても、「これ書いているライターは、ちゃんとインターネット読んでいるのかな。こんなことは違う視点で書いてあったじゃないか」なんて思うことが多くなりました。そうなると、もう雑誌は手にとる気持がなくなってしまいます。
おそらく、広告もインターネットでこそますますさかんになるばかりですから、いよいよあらゆる雑誌の存立が問われているおおきな問題です。
もう新聞は、どこでもインターネットでその存在を維持できている道を探っているところだと思います。そしてこのインターネットにより、従来は私たちが目にすることがなかなか難しかった地方紙も、その存在を知ることができ、愉しくその地方の情報を見ることができるようになり、このことは実に面白いです。
ただ私がこうしたインターネットの世界になりましても、不満なのは、新聞といいましても小さな業界紙を見ることができないことです。私も昔「温泉新聞」という旅行業界の業界紙の記者でした。私は新聞と言っても、あのような業界紙を読むのが好きですし、そうした新聞記者が好きです。
あ、そんなことに関しても、また別に書いてみます。私も新聞記者だった時代があるし、好きだった新聞記者がいます。ただし、今思い浮かべました私の好きだった新聞記者二人は、私とほぼ同じ歳だったのに、もうなくなりました。飲みすぎだったしなあ。





























































































