2006年08月18日
「下鴨納涼古本祭り」最終日
三月記(仮題)に このUP がありました。
私も「古本祭り」というものは、随分昔は歩いたことがありますが、もう何年も行っていないですね。
最終日の昼前に行って2時間足らずざっと見てきましたが、古書価の低落傾向は止まるところを知らずという様相で、ちょっと暗い気分になりました。われわれ新本屋としても、まだ在庫を持っていて、これから定価で売るつもりの本が、ここまで下がっているのを見せられるとちょっと自信がなくなってきます。(2006.08.16)
「古書価の低落傾向は止まるところを知らず」ということろで、私もなんだか嫌な気持というところです。でも「仕方ないかなあ」という気持にもなります。
とくに文学全集類の値崩れはひどいもので、岩波の「日本古典文学大系」が1冊100円から200円、「白秋全集」や「鴎外全集」も1冊300円位で投げ売りされてましたが、それでもあまり売れそうな気配がありませんでした。「折口信夫全集」の旧版も1冊100円から200円ですが、まったく同じ内容の文庫版の古書価の方が高いのは、とにかく場所ふさぎな本が徹底的に嫌われているからのようです。最終日のため全品半額セールをしている
私の兄の家にも、「折口信夫全集」は「ノート篇」もあり、そして柳田国男全集もあり、ただただ場所ふさぎなだけです。でも私は「折口信夫全集」はいくつか読みましたから(もちろん柳田国男も何冊かは読んでいますが)、その読む面白さは判るのですが、あれが文庫になったときは驚いたものでしたが、でももう文庫でも、読むことはいいのですが、本を自分の自宅には置きたくないなあ。
もうこれら膨大な本は、みなインターネット上で読めれば、私はそれが一番いいです。現実の本はただただ場所ふさぎなだけです。
私の兄も、ただただ本が莫大にあります。昔は、私が勝手に本を借りて読んでいても、そのうち電話があり、「○○の本は、そっちへ行っていないか。そうか、読み終わったら、必ず返せよ」と、とても煩かったものでした。
でも今は、「○○と××の本はそっちへ行っているだろう。あ、戻さなくていい。必ずそっとで処分しろ」というようになりました。
私も妻にも、娘にも、私の持つ本の処分のことを煩く言われています。私は、もちろん吉本隆明の本だけは、「パパが死んだら、棺桶にいれろ」と言っているのですが、「そんなに棺桶に入れたら、焼場から断られる」というばかりです。
私は今妻の実家にいまして、義父の本をかなり整理しました。いくつもの本を、「あ、義父もこの本は読んでいたんだ」なんて思いまして、それを読んでみますと、最後に古書店のシールを発見して、「あ、なんだこれはもともと俺の本なんだ」と気がついています。これが実に何冊も何冊も出てきます。そして、それらの本も、またゴミとして処分するだけになります。
もう仕方ないよなあ。



































































