司馬遷―史記の世界
書 名 司馬遷史記の世界
著 者 武田泰淳
発行所 講談社
定 価 380円(この値段は、古書の1968年版のものです)
発行日 1968年6月5日第1刷発行
読了日 2006年8月17日

 ちょうど湯西川温泉に家族で行った帰りに、ケータイブログを書いていたのだが、ケータイが電池切れで使えなくなった帰りの東武電車の中で、これを読み終わりました。読み終わったのが春日部駅でした。
 この本は義父の本棚を整理していて見つけて、「あ、義父も読んでいたんだ」と思っていたのですが、この電車の中で読み終わったときに、最後のページで赤羽の古書店「紅谷書店」のシールを見て、「あ、これは俺の本だったんだ」と気がつきました。いや、義父の本棚には、いくつも「あ、義父も読んでいたんだ」と思って、それを開けて見ていくと、それが私の本だということが、もう何冊もあります。

 私は1968年の秋、ちょうど学生運動で忙しいときに、紅谷で購入して読んでいたことを思い出しました。思い出せば、この本を読んだ数ヶ月後、私は東大闘争で逮捕起訴され、刑務所の独房に勾留されることになり、その中で、同じく前漢の武帝の時代に、獄に繋がれ、宮刑というおぞましい刑を受けた、司馬遷の思いをいつも、考えていたものでした。

 そして今回「任安に報ずるの書」は、前にも読んでいるはず(といっても37年前なのだが)なのですが、今回また新しく読んでいるような気になりました。司馬遷は、自分が庇うことにより、武帝の怒りを買うことになった李陵のことを書いています。司馬遷には、この李陵のことは決してそれほど親しい関係ではありませんでした。それでも司馬遷は彼のために当たり前のことを弁じます。

 私は李陵と共に、同一門下には居ましたが、もとからの親友ではありませぬ。行動も各々異なっていましたし、盃をあげ、酒を飲んで、友情をあたためたこととてありません。しかしながら、私が彼の人となりを観察するに、生まれつきの奇士でありました。親につかえて孝、士と交わって信、財物に対すること廉、取ること与えることに義、何かにつけて人に譲り、恭倹にして、へりくだっていました。常々奮発してわが身をかえりみず、以て国家の急に殉ぜんとの心は、彼の胸中に蓄積されてありました。李陵には国士の風がある、そう私は考えていました。(中略)
 しかるに今、この彼は、事を挙げて、一度失敗したからとて、一身の安全をはかり、妻子を安泰ならしめている官吏共が、その非を責めて罪におとしいれんとするのは、小生の私情、真に忍びえぬ悲しみであります。
 そればかりではありません。李陵は五千に足らぬ歩兵をひきつれ、匈奴戎馬の地深くすすみ、
(後略)
(いやもっと引用したいのですが、漢字が出てきません。それでここまでとしました)

 そして、司馬遷は、それほど親しい関係でもなかった李陵のことを普通に弁じたのですが、それがために、獄につながれます。そして武帝の怒りのために獄に繋がれ、そして死刑よりもつらい刑を受けてしまいます。

 司馬遷は生き恥さらした男である。士人として普通なら生きながられる筈のない場合に、この男は生き残った。口惜しい、残念至極、情けなや、進退谷まった、と知りながら、おめおめと生きていた。(第一篇司馬遷伝)

 これは最初に書かれている文です。
 でもこの悔しさの中で、司馬遷が生きることにより、あの「史記」を書きあげました。もし、彼がこの悔しさの中で生きることをしなかったら、私たちは、あの「史記」を目にすることはできなかったのです。
 ヘロドトスの「歴史」、トゥーキューディテスの「歴史」を読んでいますと、やはりギリシア人の、歴史に対するものすごい情熱を感じます。だが、この司馬遷の「史記」こそ、素晴らしいものです。私は思うのには、ヘロドトスもトゥーキューディテスも素晴らしいのですが、「史記」の「列伝」にあたるものはないと言いきれるかと思います。
 いや、もっと私が今回も感じたことがあります。「列伝」の最初に「伯夷列伝」を置いたわけ、「史記」の「表」の意味(私は「表」なんて少しもわけが判りませんでした)、司馬遷は、孔子よりも、老子のほうに親しみがあったのではないかということ、………………、その他いくつものことを、あらためて読んでいました。

 いや、ここでいくつも書きまして、この本は他の本と同じで、捨てようと思っていました(いや、今回はいい本だけれど、何冊も捨てました)。でも、これでは捨てられないなあ。
 そして司馬遷をまた思います。そして武田泰淳をまた思います。