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 私が昨日書きました「メール苦手だから」なのですが、彼氏彼女に言われた悲しいセリフメール苦手だから を読みましたら、次のトラックバックがありました。

 内容は笑い話ですが、個人的には、メールしなくてもコミニュケーションが取れている2人なら、なにもメールでのやり取りにこだわる必要はないと思いますよ。(これは「塾長のブログ」というサイトでした)

 ええと、私はこの言う意味が判らないのですね。「コミニュケーションが取れている2人なら」ということなんですが、その前提が問題でしょう。この確認のためにいろいろな手段があるんではないですか。それがメールだったり、実際に電話することだったり、手紙だったりするわけです。
 私は今、ケータイメールを20日で200通出しています。妻と娘二人と、私のクライアントの社長やそのスタッフにです。
 電話もこちらからは、Skypeでやっていますが、電話だと相手がいないことも多いの(ケータイでも相手が出られない場も多いのです)で、どうしてもケータイメールが多くなります。
 前には、手紙を多用していました。今でもビジネス上での大切な手紙は、簡易書留で出すことが多いです。

 昔も私は毎日電話していました。学生のときと大学を出たばかりのときはアパートに電話がなかったので、公衆電話で毎日かけていました。
 またその昔、府中刑務所の独房にいたときも、週3回3日、一日2通の手紙を、すべて出していました(ただし、制限があって、便せん3枚までだった)。

 メールにしても手紙にしても、相手からの返信がなければ、「コミニュケーションが取れている」か否かは、判断できないと思いますよ。
 だから、やはり私は「やり取り」にこだわります。「アベラールとエロイーズ」の書簡集(註)も、互いの手紙のやりとりがあったから、今も読まれているのだと思いますよ。

(註)この「アベラールとエロイーズ」の書簡集のことは、以下で少し書いています。

ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」
 アベラルドゥルス(フランス名アベラール)の唯名論とは、神の存在の問題でした(周は勝手にいいすぎているかもしれないよ)。神が存在するのは、存在しないより存在するほうがいいのだから存在するのだという傾向があります(そら、周はいいすぎだ)。それが彼が弾圧を受けるもとだったのですが、もう一つの事件があります。彼は有名なエロイーズとの恋のことがあり、それがために反対派に襲われて、去勢されてしまうという目に会い、そののちエロイーズとは会うことのできないように二人とも幽閉されてしまいます。この幽閉された二人の間に交わされた書翰が「アベラールとエロイーズの愛の書翰集」なわけですが、このアベラールが受けた不幸な出来事が、エロイーズの書翰でも、愛の言葉の中で、あからさまに指摘されています。

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 写真は24日の次女ブルータスの小学校運動会で、3年生のよさこいソーラン節の踊りです。