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 私が魯迅の「吶喊」を初めて読んだのが中学3年生のときです。岩波文庫の竹内好の訳でした。そのときの私の印象といいますと、

 たしかに少しは面白いといえるのかもしれないが、これがスタンダール『赤と黒』やドストエフスキー『罪と罰』などと並ぶ世界文学といえるのだろうか?

などと思ったものです。さらに「野草」も読みましたが、これはもうさっぱり判りませんでした。この感じは高校生になって読みなおしても変わりませんでした。
 それが大学でいわば全共闘運動が後退期になったころ、魯迅の存在が大きく感じられるようになってきたのです。私のいた埼玉大学のバリケードというのは、古い木造校舎でまったく汚くて、しかも私が東大闘争で保釈になって訪れた69年8月、9月の景色は、もう誰もいなくて寂しい限りです。その寂しいバリケードの中で、とくに雨が降ったときに、私には何故か「阿Q正伝」の阿Qの存在や、「狂人日記」のひとつひとつの言葉が、私の心に迫ってくるのでを感じたのです。「薬」という短い小説のひとこまひとこまの場面―赤い饅頭が、墓の前の2人の母親の姿、…―が私の心に淋しく悲しく迫ってくるのです。そこではじめて私には、魯迅の存在は大きく力強い存在として感じることができるよになってきたのです。
 こうして私は、やっと魯迅のことが少しは判ってきたと思える時になったのです。
 その後も、何度も魯迅の「吶喊」を読み返しました。他のたくさんの著作や評論も読んできました。人生のいろいろな時期で読んだ感じが違う作家は、私にはもちろんたくさんいるわけですが、その中でも一番激しく違う感じを与えてくれるのが魯迅です。
 この魯迅について、もっと書いていかなくてはと考えています。 (2003.08.11)

   http://shomon.net/hon/rozin.htm  周の書評(魯迅篇)

 しかし魯迅を知りましてからもう大きな時間が経ちました。でも今は中国という自分の国に魯迅ががっかりしているだろうな、なんて思います。なんでこんなことになってしまったのでしょうね。
 現在王子に住むようになりまして、王子中央図書館にて、この魯迅をさらに読んでいこうとかなり決意しています。
 また新たに魯迅に会いたいという思いでいっぱいです。

 13日の鎌倉駅の北口のあるお店の前にいた犬の置物です。もちろん売り物ではありません。なんだかとっても可愛かったのです。