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 まっくまっく の彼女が、私のことを次のように言ってくれています。

一日何時間でもパソコンに向かっていても、目は疲れないわ、肩は凝らないわ、腰は痛くならないわの周さんらしいのです。

いつもパソコンやら入っている重いリュック(7,8キロはあるのかしら?)持ち歩いているのに、足やら腰やら平気だと言うし・・・。

なんでそんなに平気なのか聞いてみた。

「5月生まれだからよ。寒い時期に母親のお腹にいたからだと思うよ」

と言っていましたが、あれ、あたしも5月生まれなんだけど、腰は弱いわ、肩は凝るわ、目は直ぐショボショボしちゃうし、全く正反対なんですが、どうしてかなぁ〜〜。

どうも思う事によると、あたしはお酒は好きですけど、直ぐ顔が赤くなってしまうので、そんなに飲まないのですね。

ま、ここらへんが違うのではと思ったしだいで・・・。

 ええとですね。私が生まれたのは、昭和23年(1948)5月30日です。生まれたのは、茨城県佐貫(今は藤代市内にあります)でした。それでこの年は、もう戦後でも食料事情等々は極めて悪かったようです。
 それで母は食べるものは、いわばひどいものばかり食べていたようです、今でいうと「粗食」というよなものですね。いわば、例えば大根だとすると、柔らかい大根の部分は食べられずに、シッポのほうばかりしか口に入れられなかったようです。もう本当にあらゆる食料でも悲惨な部分ばかり食したようです。
 でもこれが良かったのです。私が母の胎内にいたのは、昭和22年の8月から23年の5月で、いわば寒い時期にいたわけで、母は、ひどい時代でも、少なくとも身体を暖めるようなものを食べました。それが実は私には良かったのです。
 私の兄は昭和17年2月生まれです。日米開戦の前に母の胎内にいたわけで、まだ日本はそんなにひどい食料事情ではありませんでした。だから、却って兄はとても身体が丈夫ではないです。
 私の弟は昭和25年4月生まれですが、生まれたのは秋田市で、24年の夏ごろからは、そんなに秋田は食料事情は悪くなかった。だから、粗食ではなかったから、これまたそんなに身体が頑健ではありません。
 私は、いわば母が粗食で、生きている中で胎内にいたわけで、しかも寒い季節に母が胎内を暖めるようなものを食していたわけです。ですから、私は丈夫です(実は丈夫でないところもあるのですが、まあそれは頭かなあ)。
 こうして丈夫に産んでくれたことは、私にはとてもいいことでした。

 粗食ばかりを身体に入れてきたから、母が作ってくれるものは、なんでも美味しかったです。だから、学生運動で、留置場での食事も実に美味しかったです。府中刑務所の食事はもう私には驚くほど美味しかったのです。もう麦シャリが良かった。感動でした。
 私の母の食事は、決してちゃんとした料理ではありません。母は、料理なんて習ったことがないし、ただただ毎日口に入れられるものを作ってきてくれただけです。
 私の家には、ずっと秋田犬がいましたから(常時2頭以上、多いときは10頭くらいになる)、それの食事の用意も大変だったでしょうが、あの犬たちも私も懸命に必死に食べていました。
 私の妻も決して料理はうまくありませんが、ただただ私は美味しく食べています。
 というか、そもそも私は1日2食なので、いつも腹が減っているので、とにかくまずお酒が美味しいのです。
 ア、そうだ、お酒で思い出した。先日怖ろしいことがありました。私の長女のしうちです。でも私がおかしいのだという意見もあるかもしれません。また書きます。

 この「丈夫なわけ」続き

 写真は16日、まっくまっくさんの会社へ持っていきました草月の黒松です。