釋一休が生きたのは、応永元年(1394)から文明13年(1481)で、享年88歳、当時としては極めて長寿でした。後小松天皇の庶子と言われています。
 この詩は、一休49歳のとき丹波で修行を積んだあと、京都に帰るにあたって作った詩です。

   自山中歸市中  山中より市中に帰る
              釋一休
  狂雲誰識屬狂風 狂雲誰か識(し)らん 狂風に属するを
  朝在山中暮市中 朝(あした)には山中に在り 暮には市中
  我若當機行棒喝 我若(も)し機に当って 棒喝を行わば
  徳山臨濟面通紅 徳山臨済(註1) 面(おもて)紅(くれない)を通ぜん

  (註1)徳山(とくさん) 唐の時代の名僧。「徳山の棒」といわれるく
     らい、よく棒を使った。臨済も唐の時代の名僧で、臨済宗の始祖。

  この私が狂雲に属し狂風に属するのを誰が知ってようか
  朝には山の中にいたが、夕べには人々の中にいる
  私は機に応じては棒喝を行うのであるから
  徳山も臨済も羞じて顔を赤らめるだろう

607ed75b.jpg 私は現在58歳です。このときの一休は49歳。たしかに現在とは人間の寿命はかなり違うのですが、現在の私から見ても、このときの一休は実に若いです。
 私は禅なんて、少しも好きになったことはありません。とくに、この「棒喝」なんて大嫌いです。でも思えば、このときの一休には、この臨済の教えが一番理にかなっていたのでしょうね。
 私がいくら臨済の教えを学ぼうと思っても、どうしても私には親しくなれないものです。いや、臨済の教えはまだ形がありますが、曹洞宗の道元のいうことは私にはもっと判りません。
 でも、これから私ももっと学んでいこうと思っています。そういうときには、この一休のいうことから入るのがいいのかなあ、なんて思っているところです。

 写真は27日水天宮の中から見た新築中のビルです。この人形町で一番高いビルになりますね。