2007年01月11日

大原幽学のことで

2017060311
 
私が読んだ吉本隆明
  私の次女ブルータスは、今年3月に結婚します。お相手は、もうブルータスがずっとつき合っている同じ大学の同級生です。
それで 次女の彼氏が結婚の申込に来てくれました に書きましたように、昨年の10月22日に二人と私と妻と、そして長女夫妻と一緒に北とぴあで食事しました。
実は私はそのときに、ブルータスの結婚する相手に私が頼みたいことがありました。でもでも、私はそれを言いそびれてしまいました。それはあまりに私の依頼することが突飛なことだったからです。
私が次女とその彼に頼みたかったのは、「私の尊敬する大原幽学のところ(大原幽学記念館のこと)へ連れて行って」ということです。
大原幽学については、

http://www.city.asahi.chiba.jp/yugaku/ 大原幽学記念館ホームページ

に次のように書いてあります。

生涯と業績

大原幽学おおはらゆうがくは天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、長部村(ながぺむら):現千葉県旭市を中心に房総の各地をはじめ信州上田などで、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した人物です。道徳と経済の調和を基本とした性学(せいがく)を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導しました。

前半生は各地を遍歴していたらしいのですが、その経歴は明らかではありません。天保13年(1842)には香取郡長部村に定住しています。天保4年頃から独自の実践道徳である性学の教説活動を始め、弟子として入門する者が次第に増えていき、研修施設や教導所が作られ会合や講義が行われました。

門人達は道友(どうゆう)と呼ばれ、長部村に腰を落ち着けた幽学は、性学道友の農民を指導し農村の復興を図り、農業協同組合である先祖株組合(せんぞかぶくみあい)をはじめとして農民が協力しあって自活できるように各種の実践仕法を行って成果をあげました。

しかし急激な性学運動の発展と農民が村を越えて労働と学習を共にしたことが幕府の怪しむところとなり、幽学は幕府の取り調べをうけた末、有罪となり、失意のうちに安政5年(1858)3月8日、自殺により62歳の生涯をとじたのです。

私の生まれ故郷は、茨城県佐貫(今は藤代市になっています)です。ただし生まれただけで、この故郷のことは何も知りませんでした。
でも私は小学生の5年生のときから、この大原幽学は自分の故郷近くの尊敬する人物、私の先生でした。
だから私は、この大原幽学記念館に、もうずっと前から訪れたいと考えてきました。でも妻や二人の娘に話したとしても、まったく理解できない古い江戸時代の人の話です。だから、いつか私一人でこの記念館に行ってみようと思っていました。
でもこの大原幽学記念館のホームページの「交通」のページには次のようにあります。

記念館は地理的にとても不便な場所にあります。公共の交通機関は本数が少なく、徒歩での移動を多く伴うことをご了承ください。お車でのご来館が便利です。

私は、「やっぱり幽学先生らしい、そんな場所にあるんだなあ。思えば、先生は、関西、四国、関東とずっと独りで歩かれたのだなあ」という思いで、いつかは私もここに独りで、行ってみたいという思いでした。でも実は、車という足のない私には大変なことなのです。
でも、私には、この大原幽学を私が尊敬している人物ということを口で話すことにためらいがありました。それは何故かというと、そのことを言いましても、ずっと誰も関心をもってくれることがない人物が大原幽学だからです。
わずかに関心を持ってくれたのは、私が小学校6年の鹿児島山下小学校で担任だった川上先生です。私は、私の尊敬する人物というので、この大原幽学のことを作文で書きましたら、いくつか質問をしてくれました。先祖株組合のことと、そして当初は幕府から、「手本村」と呼ばれ誉められたことのその意味などのことです。でも私の答えることに、川上先生は少しも理解をしてくれませんでした。

その後も必ず私は「尊敬する人物」にこの大原幽学をあげてきましたが、ただの一人も興味を示してくれません。
私は大学時代は、実に激しく学生運動に邁進したわけですが、そのときに私が口から出す、大原幽学のことは三派全学連、全共闘時代の活動家は誰も関心をもってくれません。私が自分のホームページ将門Webをもったときにも、周のプロフィール には、「好きな人」というところに、当初は、吉本隆明と長谷川慶太郎の次に、この大原幽学をあげていましたが、いつからか、消してしまいました。もう誰も関心を持ってくれないだろうな、と思ったからです。

でもこうして、大原幽学記念館ホームページを知り、記念館のあることも知りまして、改めて行きたい、幽学先生のところへ行きたいという思いが強くなってきました。でもその機会を作らないまま、こうして年月ばかりが経ちました。

そこで、私は今回の次女の結婚に関して、千葉県の住民であり、教員である次女の彼氏に、ここに車で連れて行ってほしいと思ったのです。でも彼が、次女の結婚の申込をしてきたときは、どうしてもいいそびれてしまいました。あまりに突飛な、あまりに変な申し出だからなのです。
でももうまた改めて、彼と次女に申し入れます。ぜひ、この大原幽学記念館に3人で行きたいので、ぜひ連れていってほしいのです。
大原幽学先生も江戸時代の教育者です。きっと、その幽学先生の生き方、考え方は二人には参考になるはずです。
だから、また改めて、次女ブルータスとその彼氏に申込みます。

今唐突に思い出しました。私が最初に三里塚闘争に行きました、1968年2月26日のことですが翌日の集会で、私は私の隣にいた活動家(誰だったか覚えていない、とにかくマルクス主義学生同盟中核派の人に対して)に、私が尊敬するのは大原幽学のことだということをいましたが、相手はまったく怪訝な顔をしただけだったことを今思い出したのです。

今年こそ、幽学先生に会いにいきます。



10日に撮りましたポコちゃんです。手を握り締めています。
(でも15日にこの写真は削除しまして、2つ目の吉本(吉本隆明)さん関係の著書を載せました)。

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