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「埼玉県立近代美術館」に、アトリエイグレック今日の出来事 の igrekさんが、次のコメントをくれました。

1. Posted by igrek    2007年02月27日 21:38
まさに団塊の世代のお話ですね。私の夫もその時安田講堂の近くにいたそうです。やじうまのノンポリ学生で。周さんとは随分違いますね。二期校とはなつかしい言葉です。

埼玉も今は赤羽まで湘南新宿ラインができて、横浜からは東京に行くのと同じ感覚で行けますね。埼玉県立美術館は近代建築見学のいい企画があるんですよ。

ではまたイグレックに遊びに来てください。

 あ、そうなんですか。では旦那さんも同じ世代なんですね。何年か前にどこかの会合で浅野史郎さんとビールを手に持ちながら話したことがありますが、あの方も東大全共闘だったらしいです。そばで話しても、彼は実にいい方でした。私は民主党なんて嫌いですが、あの浅野さんが都知事選挙に出られるのなら、石原さんよりはいいかなあ、と思っています。
 思えば、いろいろなところで、あの1969年1月に東大闘争にいた方、それを見に来られた方と触れ合うことがあります。みなさん、いろいろな思いを持たれていますね。
 埼玉大学は、実に田舎大学なので、実に牧歌的な愉しい雰囲気ばかりでした。ただねえ、やはり学生運動はどうしても都内に出ますからね、私たちは、もう何もかも判らないことばかりでした。
 埼玉県立近代美術館は、あの前あたりが埼大のメインストリートでした。1968年の4月に、そのメインストリートを紺色のミニスカートで青い水玉のシャツを着た色の白い女の子が本を抱えて歩いてきました。私はその子を見たとたんに恋に落ちました。彼女は、その前月の王子闘争で、「埼大理工学部」の旗がひるがえっているのを見て、それで他の大学ではなく、埼大に入学してきたのです。彼女もまた高校生で近所の方に呼びかけて王子野戦病院反対のデモをしてきたそうです。その「埼大理工学部」の旗を持って王子の柳田公園とその周りを走り回っていたのは私でした(ただし、デモに移ったときは、あの旗は誰が持っていたのかなあ)。

 私は東大闘争で保釈になって、すぐに1カ月も経たないうちに、芝浦工大事件に関係しました。これは内ゲバ殺人事件といわれたものでした(事実は殺人なんかではないよ)。そして私はその後12月10日に逮捕されました。でもこの年は、こうして娑婆にいた期間はわずかなのですが、私は恋した女性に約200通の手紙を出していました。
 少し、私は「俺って、200通も手紙出したのは偉いな(あ、内容はさておき)」なんていう気持でいましたが、なんのことはありません。私は今は200通のケータイメールを2カ月で出していますよ。もう彼の家に住んでいる私の次女には、もう何通も手紙を出しています。ケータイメールもいいけれど、実際に手紙を書くのもいいですね。
 たぶん、きょうも次女ブルータスには手紙を出します。いえ、彼女の結婚式の出欠の返信葉書が我孫子の自宅に届いて、この王子に転送されてくるので、それを封入して次女宛てに送っているのです。
 実はきょうは、義母のデイサービスのお休みの日で、今週は私の担当なので、王子の家にいるのですが、さきほど長女が孫のポコちゃんを連れて来てくれました。もう孫は実に可愛いです。でもよく泣くんだよなあ。この孫がケータイを持ったら、もう毎日ケータイメールを打ちますよ。

 なにか、きょうはこのパソコンの前になかなかいられないものですから、こうしてブログに書くのが、遅くなってしまいました。

 写真は同じく27日の新御茶ノ水駅です。こうして写真を撮りまして、偶然人の顔が映るっていた場合はそこをカットします。