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 私の次女ブルータスが明日結婚することを考えていました。小さなときのブルータス、私に怒っているブル−タス、マリオをやっているブルータス……、いくつものことを思い出します。「明日俺は泣いちゃいけないんだよなあ」なんて思いながら、またいくつものことを思い出します。
 だが突如私に、次女がお嫁にいく千葉県の彼の家の街を思い出したときに、さらにその先の館山市の「婦人保護長期収容施設 かにた婦人の村」の光景を思い出しました。
 この収容施設の海と空が広くの見える広場を思い出しました。

 ここへ私が行きましたのは1998年の2月14日のことです。このときの思い出は以下に書いています。ぜひ読んでみてください。

  http://shomon.net/jokyo/jokyo19981.htm#980429 98-04-29かにた婦人の村と「噫従軍慰安婦」

 私は次のように書きました。

 この施設は、この施設は、全国の売春婦の方々で、もはや更正できないとみなされた方の長期収容施設です。こうした売春婦の方々の施設は全国で都道府県に1つづつあるのですが、そうした施設は、みな更正して、また社会へ出ていくためにあるわけです。だが、もう社会復帰できないだろうと見なされた方々が、ここに長期収容されています。もうほとんどの方が50代を超えた方々です。ただ、2月16日(月)には岐阜県から36歳の方が入園してくるとのことでした。彼女が最年少になります。

 まだまだいくつものことを私は書いています。ぜひ読んでみてください。
 私の次女のように、結婚して幸せに生活できるだろう(もちろん、それは次女とその彼が懸命に頑張っていくだろうからだが)と確信していますが、今もあの園に来ざるをえない女性たちがいます。
 彼女たちも、みな私の娘のように、結婚して家庭を築きたい気持も資格もあるのです。でもなぜか、その道が閉ざされてしまった方々なのです。
 私は以下のように書きました。

 この「かにた婦人の村」の見聞は、私にはかなりな衝撃でした。村の中に教会(これはすべて手造りの建物です)があり、そこで彼女たちが普段唱うのだろう、賛美歌の歌集を手に取ってみて、さらにその会堂の下にある納骨堂で並んだ遺骨を見ると(彼女たちが死んでも、「親族の恥だから」と遺骨の受け取りを拒絶される家族がいるそうです)、言葉を失ってしまいました。もう涙すら出てこないのです。

 悲しいと、悔しいと、もう涙が出てこない時があるのです。この時の私がそうでした。
 ぜひ、多くの方にここを知ってほしいです。そして、私は次女夫妻と一緒に、ここに訪れてみたいなと痛烈に思いました。

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 写真は22日撮りました。私の孫ポコちゃんの帽子です。これを冠ったポコちゃんも可愛いのです。