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 4月6日に早稲田面影橋の甘泉園で唯一そこにありました桜の樹の下で桜の花びらを2枚拾いました。みるみるうちに、桜の花びらを拾っていた自分の遠い記憶を思い出していました。
 私は1969年の1月19日に東大闘争で逮捕され起訴されて、2月20何日に起訴され、2月末に府中刑務所に移管されました。
 府中刑務所は、所内にたくさんの桜の樹があります。だから3月末になると、その桜がたくさんの花をつけます。
 それで毎日運動の時間があります。そのときは扇形をして小さく閉鎖された運動場でたしか15分くらい運動が許されます。
 このときに、この狭い運動場にも、いくつもの桜の花びらが落ちています。だがそれをかがんで拾うことは簡単ではありません。すぐに、「5004番何しているんだ」と看守からの誰何がくるからです。
 でもある日(たしか4月の2〜4日くらいのとき)、いくつかの花びら(たぶん20枚近く)を拾いました。それを房に持ち帰って見てみると、桜の花びらというのがとても綺麗なのに、大変に感激します。それで私は、翌日の運動の時間には、「もっとたくさんの花びらを拾おう」と決意しました。

 ところが翌朝(朝6時が起床時間である)起きてみて、房の外を見て(房には狭い窓がある、ただし窓と言ってもガラス窓ではなく、鉄格子とビニールが貼ってある)驚きました。外は一面の銀世界です。今でも20年の一度くらいありますが、「台湾坊主」という低気圧のおかげで、この桜の季節の4月始めに雪が降るのです。万延元年3月3日の桜田門外の変のときも、この気候で雪が降りました。
 この日は、突然の雪で、運動は中止になりました。

 もうその翌日には、前日の雪のおかげで泥だらけになった運動場は、もう桜の花びらなんかありません。私はとても寂しい気持になったものでした。

 さて、でも房に残った20数枚の桜の花びらです。このままでは、花びらが駄目になってしまいます。
 そこで私が思いついたのが、週の3日手紙が出せて、1日に2通(ただし、便せん3枚で書く文字の大きさにも制限があります)が出せるのですが、その手紙に貼る切手の裏に、この花びらを貼り付けることでした。
 切手の裏に花びらを貼るのは簡単です。でもさらにそれを手紙に貼るのはなかなかできません。それで、毎日食べる配当のご飯の米を使うことです。ところが、府中刑務所の麦シャリです。どうみても私には麦ばかりに思えたものでしたが、それはこのときに感じていたことなのです。麦はいくら口の中で咬んでも糊になりません。米の粒なら糊になるのです。
 だから懸命に米の粒を探して、口の中で咬んで糊にして、桜の花びらを貼った切手と、封筒を貼っていたものでした。
07040901 ただし、このことは誰にも言うことができませんから、黙っていただけです。だからあの頃府中刑務所から私の手紙を受け取った方は、その手紙の切手の裏には、今でも桜の花びらがついているはずです。

 そんなことで、このの画像は、つい先日4月6日の早稲田甘泉園で、私が拾いました桜の花びらです。