2017030602 近藤勇は、幕末のときに甲府で破れ、流山で破れて、官軍に降伏します。官軍に抗したということで、中仙道の板橋で斬首されます。cddd5235.jpg
そのときに勇が残した辞世が、次の七言絶句二つです。この二つの詩は連続して書かれていたために七言律詩と思われていたときもあったようですが、律詩の要件をなしておらず、「近藤の後世の世話をした人たちは、詩文には関心がなく、あまり深く考えず、辞世の七言絶句二首を一詩としてしまった」ということのようです。

辭世 近藤 勇
孤軍援絶作囚俘 孤軍援(えん)絶えて 囚俘(しゅうふ)と作(な)る。
顧念君恩涙更流 顧みて君恩を思えば 涙さらに流る。
一片丹衷能殉節 一片の丹衷(たんちゅう) 能(よ)く節に殉ず。
雎陽千古是吾儔 雎陽(註1)千古 是れ吾が儔(ともがら)。

(註1)雎陽(すいよう) 唐の安禄山の乱の時に雎陽(河南省の地名)を死守した張巡のことを謂う。

孤立した軍隊となり援軍が絶えて、囚われの身となった。
君主の恩を思い起こせば、涙が一層cddd5235.jpg流れる。
満身の忠誠心は、節義のために命を捨てることができる。
雎陽で奮戦した張陽こと張巡こそが、わたしの同志である。

辭世 近藤 勇
靡他今日復何言 他に靡(なび)き 今日 復(ま)た何をか言わん。
取義捨生吾所尊 義を取り生を捨つるは 吾が尊ぶ所。
快受電光三尺劍 快(かい)として受けん 電光三尺の剣。
只將一死報君恩 只一死を将(も)って 君恩に報(ほお)ぜん。

敵方に靡いて、今更また、何をか言うだろうか。
大義に立って、生命を捨てることは、わたしの尊ぶところである。
わたしの首を斬る長剣を快く受け容れよう。
ただ一身の死をもって、君主の恩に報いよう。

「雎陽千古是吾儔」という句は、文天祥の「正気歌」で書かれている「為張雎陽歯(張雎陽の歯と為る)」という句によっています。この安禄山の乱のときに、張巡は戦いの中歯を食いしばったために、すべて砕けたと言われています。
私は文天祥の「正気歌」は、高校1年のときに全文暗記暗誦できるようになっていまして、よくこの句も何度も詠んでいたものでした。

しかし、近藤勇が、「君恩」という場合の、「君」とは誰なのかなあ。当然将軍であるとするわけだが、15代の慶喜(けいき)には、そんな君恩なんていうものはありません。それほどの人物には、私には到底思えません。
何故か、近藤勇以下新撰組の若者は、ただただテロにのみ生きてしまった人生のように思います。このときの近藤勇の首は、京都まで持っていって三条河原に梟されました。

この写真も4月29日母が入院している病院の玄関前のお花です。

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