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 以下、私がたった今書きました母宛ての手紙です。実際の手紙とは違って、ここでは名前等はハンドル名にしてあります。

   萩原たか子 様

               2007年5月11日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等

 前略
 今はね、ブルータスにもおはぎにも手紙を書いています。ブルータスは、少し遠いところにお嫁に行ったから、手紙を書いて送ると、少しは気がまぎれるかなと思うんです。おはぎは、同じマンション内に住んでいるのですが、ここには切手を貼らなくて出しています。
 もう私にも孫がいるわけですが、この孫が字を覚え出す頃には、手紙を書こうと思っています。いや、今は小学校に入る頃にはケータイをもつのだろうから、それあてにケータイメールを書くことにします。
 たぶん、「じじは、なんでこんなどうでもいいことばっかり書いてくるのかなあ」と思われるかもしれないけれど、たくさん書きますよ。
 思えば、私が学生で府中刑務所に居たときに、たくさん手紙をくれたね。でも私はほぼ返事を書かなかった。その前に鹿児島で鶴丸高校に入ったときにも、下宿あてによく手紙をくれていました。あのときにも私は返事をほとんど書きませんでしたね。申し訳ない思いでいっぱいです。でも今はこうして書いても、よく読めないのかもしれないね。だからやはりどうしても、申し訳ない思いでいっぱいです。
 私が子どものときに、記憶がはっきりしてくるのは、秋田に住んだ時からです。その前の東京巣鴨の記憶は全然ありません。ただ数年前に浅草の朝顔市に行きましたら、「あっ、ここには来たことがあるんじゃないかな」という思いが甦りました。おそらく昭和24年くらいに、あそこへ連れて行ってくれたことがあったんじゃないかな。
 でも秋田のことは、初めて記憶にあるようになったと言っても、やはりところどころ曖昧です。繁華街の川端の思い出や木内デパートの思い出は曖昧です。千秋公園の思い出や、家での出来事はよく覚えています。よくマサシと親父の三人で、近くの公園に花火をやりに行ったものでした。考えてみれば、あのときにマサシは一つか二つなんだねえ。でもよく仲良く遊んでいたのを覚えています。
 兄貴の莞爾とは7つ違いだから、遊んでもらったという記憶はないなあ。でも雪遊びをするようになると、よく遊んでもらった記憶が鮮明になります。もう私が幼稚園で、兄貴は中学生だったものね。
 それに秋田は、やはり秋田犬の思い出が鮮明です。これはもう忘れようがありませんね。我が一族がこれから長い間、この秋田犬とのつき合いの最初だったのですね。もう忘れようがありません。昔秋田に旅行したことがあるけれど、また必ず行ってみたいな、と思っています。            早々

 一つ前の手作りのケーキをナイフで切りました。これは5月6日に撮影しました。