私が 周の雑読備忘録「平山和子『くだもの』」 の中で次のように書きました。

 最初の中表紙はさくらんぼの綺麗な絵があります。最初の表紙も裏表紙もさくらんぼの絵です。私はさくらんぼって、こんなに魅力あるくだものだっていうことを今始めて知った気がします。(いえ、思い出したことがありました。またあとで書きます)。

「またあとで書きます」なんていいながら、忘れてしまいがちな私です。
 私が思い出したのは、この本のさくらんぼの絵を見て思い出したのは、たぶん昭和30年か31年の春(だから私は小学校1年か2年生)に札幌で、父が家族でいちご狩りに連れて行ってくれたことのことだと思います。
 目的はいちごだったわけですが、そこにはさくらんぼもたくさんあり、私がそのさくらんぼをいくつか手にしているときに、母がもっとたくさん手に持って父に写真に撮ってもらうように合図をしたことです。父はこの頃、かなりカメラに凝っていまして(いえ、もうなんでも凝る親父でした。なんでも凝るけど、すぐ飽きるのです。飽きないで長年やっていたのは秋田犬くらいだなあ)、そのカメラを向けてくれたのを思い出します。私の手には、いっぱいのさくらんぼが綺麗にあったかと思い出します。
 思えば、あのときの母の顔も鮮明に思い出します。母はまだ若かったですね。

 思い出せば、あの小さな頃は、いちごもさくらんぼもみな好きだったのに、なんでくだものが嫌いになったのかなあ。あ、そうか、くだものは酒のつまみにはならないからだ。ああ、なんというくだらない私でした。