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『悪霊』と『未成年』やらそれに余計なこと に以下のように書きました。

あ、立命館闘争を描いている『全共闘記』という作品にムイシュキン公爵と呼ばれている人物が出てきます。以下読んでみてください。兵頭正俊「死了魁

 でも実際にこの私の書評の兵頭正俊『死了魁には、その小説の中のムイシュキン公爵のことは少しも書いてありませんでした。この小説の中で、このムイシュキン公爵は、大きな存在をしめている人物なのですが、でも私は何も書いていませんでした。それに、私のこの本は、我孫子の自宅にありまして、今は参照することができません。
 できたら、この『死了魁戮鯑匹鵑任澆討ださい。

 でもこの『死了魁戮魎泙鵑澄愾感ζ記』全体でも思うのですが、あの時代を体験した人間は、自分の体験を実に大きな忘れられないものと思っているわけなのでしょうが、それは他の世代でも誰もが同じような大きな体験をしてきていたということなのだろうと思います。
 60年安保闘争世代も、その前に日共左派時代の体験世代も、その前の戦争体験でも、その前の2・26事件の世代でも、みな同じじゃないのかなあ。
 この『死了魁戮如⇔命館の闘争のことでも、同時に書かれています源実朝の公暁による暗殺事件でも、同じじゃないかなあ。当事者には、それこそ大きな大変な事件だったろうと思います。でも当事者は、誰もが忘れられない大きな出来事であっても、歴史はそれを次第にはるか彼方へ押しやります。そして私たちの記憶に残るだけのものになってしまいます。

 このことはもう致し方ないことなのかなあ。

 写真は同じく6月5日のNHKテレビです。