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07061901「ワレ皇居(キュウジョウ)ヲ占拠セリ」―二・二六事件秘話「宮城坂下門内の変」

書 名 ワレ皇居(きゅじょう)ヲ占拠セリ
    二・二六事件秘話「宮城 坂下門内の変」
著 者 仲乗匠
発行所 恒友出版
定 価 1,800円
発行日 1995年2月26日初版第1刷発行

 まず最初に書かなくてはいけないのは、私に16日にある貴重な本を送ってくれた方に、そのお礼の手紙を書いたのですが、私が読んでいたこの本のタイトルを「ワレヲ皇居(きゅじょう)を占拠セヨ」と書いてしまいました。申し訳ないです。印刷したら、このお相手の住所が間違えていて、再び印刷するのに、ついでに書き加えたのですが、それが間違えてしまいました。ごめなさい。
 この本は16日に我孫子へ行った帰りに電車の中で読んできました。でも半分しか読めず、そのあとは本を開いている機会がありません。

 私は2・26事件では、決起した将校のうちで、中島莞爾が好きです。これは私の父もまったく同じでした。父は、中島莞爾に憧れて、昭和15年夏に出征するときに、母のお腹にできた私の兄に、「莞爾」という名前を付けたのです。
 後年、私の兄の名前に「莞爾」を、誰もが「石原莞爾から付けたのかなあ?」と言われると、母がつよく否定していたのを覚えています。父は石原莞爾なんか大嫌いですから、もうそんな問いは相手にしていませんでした。
 2・26の時に、決起した将校たちのすぐさまの鎮圧を主張していた石原莞爾など、父にも母にも許し難い人物だったはずです。
 だが、この中島莞爾が、佐賀県の出身で、いわば「佐賀閥」とでも言われるグループだったことは、この本で始めてしりました。私は九州というところも、どこも少しも好きではありませんでしたが、佐賀には親しみを覚えてきていました。思えば、母の胎内にいるときに、少しは感じることがあったのかもしれません。

 私が2・26で一番の不満は、「何故皇居に突っ込まなかったのか?」という点にあります。幕末の志士たちなら躊躇せず、皇居へ突入し、天皇を自分たちのいいなりにしていたはずです。
 私は勝手に夢想します。もしも、それがやりきれていれば、そののちの日中戦争は避けられていたのではないか。日中で戦争をしたかったのは、私にはむしろ中国側にあると思っています。そしてこの日中戦争の勃発が日米戦争につながります。蘆溝橋での一発の銃声が、やがては日米戦争に至る道でした。そしてその盧溝橋での最初の一発は、中国側、中国共産党によるものだと私は確信しています。蘆溝橋での一発の銃声を喜んだのは、中国共産党であり、スターリンであり、チャーチルです。これが、日米の戦争にいたり、ソ連と日本の戦争にはならないことを知っていたからです。(参考「尾崎秀実のことで」)

 いや、私が先走るのではなく、もう少しこの本をちゃんと読んでいこうと思っています。あと3分の1くらい読めば終わりなのです。

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