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 以下、私が今書き終えた母宛ての手紙です。すぐにポストに入れます。実際の手紙とは違って、ここでは名前等はハンドル名にしてあります。

   萩原たか子 様

               2007年7月16日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等
 前略
 14日にお見舞いに行きましたが、ばあは起きませんでしたね。でもあの部屋は涼しくて眠るのには気持いいのかな。そんな感じがしました。でも、私の手を握り返してくれてありがとう。
 あの日14日は台風の日だったのよ。それも大きな台風だということでした。だから日本中が被害に遭いましたが、ほぼ太平洋岸をかすめただけだったから、その被害が大きくならなかったようです。
 ちょうど四国とか紀伊半島に上陸するのかな、とも思わせて、私たちが出会った伊勢湾台風を思い出したものでした。
 あの台風はもう私には絶対忘れられないものです。自然が怒ったときの力ってすごいものだなあ、と判ったものでした。
 でも病院からの帰り、傘が壊れていたので、私は濡れてしまいました。でも別に平気でしたけどね。
 あの日は、我孫子にあるピアノをあの部屋から出すところだったのよ。おはぎもブルータスももうピアノはいらないというのです。一時ブルータスが、結婚した家に持っていこうという気持もあったのですが、止めました。
 ブルータスは、もう三線もやっているし、オーボエもやっているのよ。ブルータスの勤めていた柏A小の生徒たちは、オーボエを吹いているブルータス先生を見たら驚くんじゃないかなあ。なんせ、社会科で、沖縄のことを学ぶときに、ブルータスは三線を持って行って、それを弾くのですから。それでみな驚いていたのに、実はオーボエのほうが前々からやっていたというと、もっと驚くでしょうね。
 おはぎは、ピアノも三線も、いまいち得意ではありませんが、やっぱりあの子は美術の先生です。いつも感心してしまいます。できたら、どこかで絵の個展をやってほしいと思っているのですが、今のままじゃ無理かなあ。
 今はもう毎日、子どものポコちゃんと大格闘です。ポコちゃんは、可愛くていい子ですが、でも母親のおはぎには、大変なことの連続です。なんとか、私もそれを手伝えたらと思っているところです。
 でもこうして、私が二人の子どもを育て、その二人が結婚して、一人は私の孫を産んでくれていて、もう一人も、それがもうすぐのことだと思うと、なんだか嬉しくて堪りません。
 そんなことを、ばあとずっとお喋りしたい気持でいっぱいです。早くそんな日が来ることが私には待ち遠しいです。              早々

 写真は、7月12日の千駄木「浅野」です。この短冊に書いたのは、「呼狂呼賊任他評」。これは黒澤忠三郎「絶命詩」の最初の句です。