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  ここに掲げた写真が、私の母の入院している病院の看板です。 

 私が16日に母の入院先に行きました。でも母は目を開けてくれません。それで仕方ないので、部屋を出て、病院の前で、ケータイメールをしようとしていましたら、見かけた顔のおばあさんが自転車でやってきます。それで顔を会わせると、私のところへやって来て、私と二人でお喋りを始めます。思えば、このおばあちゃんとは親しいつもりでいましたが、こうして声で会話できるのは、何年ぶりのことでしょうか。いやもう10年たっているかもしれません。
 彼女は、私の二人の娘と同じ根戸保育園に行っていたナミちゃんのおばあちゃんでした。ナミちゃんは、私のブルータスと同じ歳で、最初の1歳児のときは、二人だけのパンダ組でした。それで、私の長女のおはぎは、ブルータスとナミちゃんよりは、1歳上のクラスです。
 このおばあちゃんが、「くにちゃんは、いつも『くにちゃん、おねえちゃんだから我慢する』と言って、偉い子だけど、可哀想ね。おねえちゃんと言っても、一歳年上なだけなのに」と言ってくれていたものでした。
 うちのブルータスはひっこみ思案の子でしたが、全然きかない子で、おねえちゃんを悩ましていました。ナミちゃんも実は大変にきかない子で、うちのブルータスが、手でペチンすると、手でペチンと殴り返す子でした。もう二人とも、男の子に少しも負けていませんでした。それにナミちゃんは、とても綺麗な子で、みんなに人気がありました。
 でもそのナミちゃんのおばあちゃんと、私の母、おはぎとブルータスのおばあちゃんとは実に仲良しになりました。二人で、保育園で、孫を送り届けたあと、座ってお喋りしていると、おはぎが来て、「おばあちゃん、もう帰らないと駄目だよ」なんて、言ってくれていたようです。
 そんなことが私には一遍に甦えってきます。私はおはぎに孫が生まれたことをいい、その孫の写真を見せ、ブルータスが3月25日に結婚したことをいい、またブルータスのウェディング姿の写真を見せました。
 あ、そういえば、このおばあちゃんは、私の兄の詩吟を習いに来るお弟子さんでした。だから、私と同じ詩吟の栖山流吟道会の仲間でもあるのです。

 実は、私の母だけでなく、このナミちゃんの前の家の方も、入院されているということでした。もうみんな歳を取ったのですね。
 そして私はそこから、エスパに向かいます。妻にダンボールを取ってきてくれと言われていたのでした。

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