2018102602 

私がいつも読んでいますナミちゃんのブログこれから都内」にでま〜す♪ というUPの中に次のようにありました。

次男のやんが「ねぇーマリア・カラスって何人?」と聞いてきます。
私・・教養がなくてお恥ですが「知らなあ〜いい。フランスかなぁ」
ソプラノ歌手ですよね?クラッシクの女王だったかな?
いい加減な知識ですいません・

それでマリア・カラスのことなら704e6b18.jpg、もちろん私の好きな歌手といっていいですから、余計なことですが、以下のようなコメントを書きました。

ギリシア系のイタリアンオペラ歌手と言っていいんじゃないかな。私のもともとの詩吟の宗家である荒國誠先生は、オペラ歌手だったもので(戦前にニュヨークのカーネギーホールで歌ったことがあります)、イタリアの歌手は私もよく親しく聞いていたものです。國誠先生は、実に見事なテナー歌手でした。イタリアのテナー歌手のデル・モナコ、ジョゼッペ・ステファーノのカンツーオーネもよく聞いたものです。國誠先生も「オーソレミオ」、「帰れソレントへ」もよく歌ってくれたものでした。

今、荒國誠先生のカンツーオーネの声を思い出しました。また先生の葬儀のあった青山葬儀場で、会場に流れていた、広瀬武夫「正気歌」の吟を思い出しました。デル・モナコ、ジョゼッペ・ディ・ステファーノの歌も思い出せば、よくレコードで聞いていたものです。
思えば、私もずうずうしくよく唄ったものでしたね。いえね、七言絶句を吟うと、二つ詠うとすると、いくらなんでも次はまったく違う歌にしないと、聞いているほうは飽きちゃうでしょう。だから、私はよくオーソレミオ」を唄うのでした。
ナミちゃんが、私のコメントに次のようなレスをくれています。

周さんの声ってすご〜くピンピン張っていて綺麗ですよね。高音がとても綺麗だったなと思い出しています。詩吟の宗家の先生がテナー歌手だったとは詩吟と声楽の発声は共通するものがあるのでしょうか。

思えば、私は学生のときから詩吟はやっていましたが、他大学の学生活動家だと、詩吟だと右翼だと思い込んじゃう人がいるんですね。つい昔、唐牛眞喜子さんを中心として昔の活動家が集まる忘年会で、私が詩吟をやったら、早稲田の元活動家の高橋伴明さんが、「右翼はなぐらなくちゃ」とそばに来るし、私の関西のシンパ層も身構えたりして(眞喜子さんの説明で判ったようです。そしてそれ以来私は伴明さんの映画は必ず見ています)、さらに日学同の新右翼の人は、私を仲間だと勘違い(これが見沢知廉さんでした)いたりしたものでした。

あのそれで、詩吟とテナー歌手だったことは関係はありません。ただ、もともと荒國誠先生が始められた「國誠流」という詩吟は、そもそも「強吟」を強く主張しています。もともと幕末に多く詠われていた吟じ方と聞いています。荒國誠先生は、本来は米国でオペラ歌手になるために勉強をしていた方です。そして自分では琵琶を教えていました。また、メキシコとの国境近くで開拓の仕事もやっていたと聞いています。
ところが、そこで不幸にした始まったのが、日米戦争です。それで米国では、日系人を収容所に入れるという、やってはいけないことをしました(これは今米国はこのことを真剣に謝っています)。それで荒先生が入った収容所がカルフォルニアのマハトバの収容所でした。この中で荒先生は、昔福島県(先生は、この県出身です)で習ったことのある詩吟をみんなの前で始めました。これが「國誠流」の始まりです。だから、「國誠流」というのは、日本よりも、米国やカナダのほうが組織が大きいのです。

その先生に教わっていた私が、70年当時、日本の新左翼活動家だと知ったときは、荒先生はどんなに驚かれたことでしょうか。でも先生は、逮捕勾留されている私のことも、懸命に大事にしてくれていました。
もう荒先生に会うことはできませんが、あの先生の詩吟を忘れることはありません。そしてお酒を飲まれて(お酒の好きな先生でした)、いつもカンツーオーネを歌われる先生は、また素晴らしかったものでした。
この先生の吟を今もやっているのが、私の兄である萩原荘雲のやっております 栖山流吟道会 です。

まあ、いつか私が死ぬときには、必ずこの荒先生に会うことができるだろうと私は信じています。

2つ目の画像は17日のテレビの「ちい散歩」で、最後にちいさんがこの綺麗な河原に居ました。思えば、この河は何川になるのかな。もちろんしばらく考えると判ります。

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