07080302 ナミちゃんのブログの、老人ホームにボランティア! に次のことが書いてありました。

あとっ!やっちゃいました。
ブログ初心者の私・・書庫を作って今までの記事えお振り分け作業を
していた時に???あれっつ?あれっつ?おかしい・・

・・遅しでした・・間違えて、勘違いをして削除してしまいました。
ガ〜ン!ショックで〜す。記事を二つ〜です。
そこにはトラックバックの記事やコメントもあります。
記事一覧でコメントは残っていますが・・ごめんなさい。残念です。
記事は復活します。大体おおざっぱですが記憶にあります・
こういう事が起きるのですね。

 これを私が知ったときに、「あれ! ナミちゃんもブログに直接書いていたんだなあ。そうだと復活できないよ」と思いました。事実、「大体おおざっぱですが記憶にあります」ということになっちゃいましたね。
 私は、もう昔から、必ずまずエディタ(今はWZです。その前はVZを長く使っていました)で、書いてから、ブログにつないで、その部屋に貼り付けます。これはブログでなくても同じです。その相手のブログにコメントするときも、どこかの掲示板に書き込むときも、ホームページを更新するときも同じです。
 このことは、書込みをするときの鉄則 に書きました。そこに書きましたように、これはインターネットの前のパソコン通信の時代も、その前の時代でも同じです。

相談した周さんはエディタに書いてから貼り付けをするそうです、
これ・・司馬遷の時代から鉄則らしいです。
ブログに直接書くクセは危険という事です。
なるほど・・山勘で動いている私はまいった!まいった!でした。

 司馬遷は、あの時代に、「史記」という膨大なる歴史書を書きました。「本紀、表、書、世家篇」とありますが、圧巻は「列伝」です。これがなかったら、単に「史記」は紀伝体の本だというだけだったでしょう。でもこの「列伝」で、私たちは、孔子のことも、孟子のことも、孫子のことも呉子のことも知ることができるのです。
 この時代は、まだ紙がありません。すべて竹簡に書いたものです。なんと膨大な竹簡に書き上げたものなのでしょうか。そして、おそらく司馬遷が書いた「史記」は、もともとあの10倍の量があったのでは、と私は推測しています。それを推敲して、推敲して、あの量にしたのです。
 司馬遷は、中国全土を歩きました。そして各地の伝承、記録を書いていきます。そしてそれをさらに推敲して、あれだけにまとめ上たのです。直接、本文に書いていったわけではなく、書いたものを、本文としてまとめあげたのです。
 だから、それが今も、このインターネットでも同じだと思うのです。エディタで書いていって、自分のパソコン内(私の場合は、自分の外付けHDに)に整理しておきます。また書き直す内容になるでしょう。そしてそれをブログにUPするのです。
 ただし、これは司馬遷も同じだったでしょうが、必ずその最初パソコン内に書くときも、それは本もの(実際に最終的にUPするもの)として書いていきます。その中でいくつも推敲して直しているのです。ここのところは、司馬遷よりも数段私たちのほうが楽です。簡単にできます。もう司馬遷に、私たちのような道具(パソコンやインターネット)があれば、「史記」はもっと膨大なもの(数・量が多いだけではなく、画像も音声も入ってもっとすごい記録になっていたでしょう)になっていたはずです。
 だから、いつでも真剣に気合いを入れてやっていますが、すぐに訂正追加できるように、まずは自分のパソコン内に書くのです。それで訂正追加ののちに、UPします。エディタで貼り付けるのですね。
 でもそのあとでも、また訂正追加していきます。このところは、司馬遷では、簡単にできないところで、彼が今のことことを知ったら、ただただ私たちの時代、私たちの技術が羨ましいはずです。
 だから、今がそんな時代で、そんなに私たちは恵まれているのですから、ぜひともこのブログくらいは、ぜひ多くの方にやってほしいなと私は思っています。

 写真は8月3日撮りましたうちわです。これは気に入っています。