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 ナミちゃんのブログで、この絵本の紹介がありました。私はいつもナミちゃんがこうして絵本を紹介してくれたときに、いつも王子図書館で借りるのですが、今はあるクライアントにいるため(午後3時台です)に、身動きできません。あ、そういえば、私は今いるところのそばで墨田川にも行きたいのですが、いつも時間が足りませんね。
 もう予約しましたから(インターネットでいつでもできます)、明日は手にできるでしょう。でもこのナミちゃんの書かれている内容で、私は私の詩吟の宗家を思い出したのです。荒國誠先生は、福島県の生まれですが、米国でオペラ歌手になるために、イタリアンオペラを必死に学びました。そして米国では琵琶を教えていたそうです。
 でもとにかく稼ぐのには、必死に働いていたようです。実は、先生とそのオペラを教えてくれていた方の娘さんとの先生の恋物語りもあったらしいのですが、でもすべて日米戦争でだめになりました。
 先生は、カネーギーホールでテナー歌手としてオペラを歌えるところまで行ったのですが、でもすべて戦争になりました。日系人は、みな収容所に入られました。その収容所の中で、先生は収容されている人たちの中で、日本の歌を詠ったのです。それが多くの人の前で詩吟を始めるきっかけでした。
 そして戦後日本に帰ってきて、最初はビクターから歌手としてデビューしましたが、やはり詩吟の歌手として大成しました。いくつものレコードを出しています(私の我孫子の自宅に、もうたくさんの先生のレコードすべてがあります)。

 先生には、この日本が祖国でもありますが、同時に米国も自分の祖国という気持ちがありました。その気持ちをずっともたれてきていたのです。だから先生は、その日本と米国を敵にしているとしか思えない、全学連なんていう存在は大嫌いでした。みな共産主義を目指している、ひいてはソ連を利するようなことばかりを考えていると思っていました(この先生の認識は間違えています。いわゆる60年のブンド全学連も敵に考えていたのは、日本帝国主義であり、米国を敵とは考えていないし、ソ連はまたどうしようもない存在だと考えていた。でも先生の年代だと、違うように思い込んでしまっていたのです)。
 だが、その先生の思い込みに、全然違うものが存在してきたのが、私が突如逮捕起訴された事件でした。私が1969年9月19日の芝浦工大殺人事件(真相は殺人でもなんでもありませんが)で12月10日に逮捕されたときには、かなり驚かれたようです。そして、私が共産主義者なんかではないことも知って、随分何かを感覚として判ってくれたようです。もちろん、その同じ年の1月に私は東大闘争でも逮捕され長く勾留されていたのですから、先生には大変に驚くことだったと想像します。(ここらへんから、夜に書いています)。
 その後も私は何度も先生の詩吟を聞き、習い、そして先生の米国・カナダの詩吟の仲間ともおおいに交流しました。

 今強く思い出すのは、先生が亡くなりまして、お葬式が青山葬儀場であったのですが、大勢の方が参列されていましたが、その葬儀会場に大きく流れていたのが、先生の「廣瀬武夫『正気歌』」です。もう素晴らしい、先生の声でした。先生らしい、強い高い声でした。あの声を忘れることはありません。
 そして生意気なことに、この「廣瀬武夫『正気歌』」は、私も一年に一度くらい、どこかで吟う詩になりました。実にいい詩ですし、私の吟う声にも合っている気がするものなのです。ただ詠うのに、少し長い詩なものですから、やたらに飲み屋なんかで披露するわけにもいかないので、それが残念です。

 ナミちゃんの絵本のことから、こうして日本と米国で、詩吟やオペラ・カンツオーネに邁進されていた私の荒國誠先生のことを思い出させてもらいました。
 でもきょう、蛎殻町から人形町まで歩くときに、この『正気の歌』をずっと詠っていました(もちろん、他の人には聞こえないようにですよ)。いい詩です。荒國誠が詠われるのに、一番合っている感じがしてしまう詩なのです。

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 写真は10月25日の夕方千駄木「浅野」での私の目の前。