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 しかし、何故かいらいらしています。もうどうしても無駄なことに時間がかかり過ぎます。この田辺聖子の小説の一節一節を思いだし、いくつものことを考えたほうが愉しいのですが、そうはいかないのですね。現実には、現実の世界で焦って呻吟していることを、一つ一つかたづけたり、そのことへのさまざまな思いを考えなければなりません。なんだかとても悔しいことです。

大阪無宿

 私もたくさんの会社を転職して回ったものです。たぶん、大学時代の彼女には、「この男はずっとこのままだな」と見透かされ棄てられたような思いがします。でも彼女は決して間違えてはいなかったのです。
 この小説には、二人の男が登場します。私はどちらの側に似ているのかなあ、と思いましたが、何ともいえませんね。「どっちにしても駄目なんだよ。お前は、また違う駄目さがあるのさ」という、自分に向けた自分の言葉を聞きました。


二十五の女をくどく法

 ここで書かれている女性は、男の視線で見ている、男の作家だから描いていることサ、と思うのだが、当たり前だが、田辺聖子は女性である。そうすると、何なのだろうか。男がえがいてしまう、新幹線の中での若い女性との出逢いと、そしてその彼女と京都で降りてまた飲みに行くのである。こんなことを夢想するのは、中年老年の男であるはずなのです。


求婚

 私は昔、旅行業界で働いていました。しかも私は旅行社側ではなく、「受入側」のまた特殊な職種に務めていました。そして実際にある中小企業会社の社員旅行に添乗員としてついて行ったことがあります。
 この小説にあるような、男女の出逢いがあるというのは嬉しいことですが、これはやっぱり、田辺聖子さんの世界だからだろうなあ。

 でもいつもいつも、私は田辺聖子の世界が好きです。

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 写真は、11月8日午後3時すぎの隅田川。今はとってもいい川です。