2007年11月26日
周の雑読備忘録「『田辺聖子珠玉短編集6』」 の2
電車の中では違う本を読んでいまして、この本は、ちょっとした時間に読んでいます。なんだか、パソコンをやりながら読むのとか、テレビを見ながら読むのが、一番早く読めます。とにかく自分が情けなくなるほど、いくつものことで追われていて、それでも本を読めるときは少し落ち着きます。
宮本武蔵をくどく法
私が吉川英治の「宮本武蔵」を読んだのはいつだったかなあ。大学5年のころだったか。私が読んだあと、この講談社版の宮本武蔵3巻を貸した人がいて、その人がかなり熱心に読んでいたことがありました。そのことを急に今思い出しました。いや懐かしいことなのです。いえ、たぶんその人と久方ぶりにちかぢか会うだろうものですから。
でもこの田辺聖子の描いているムサシは、実にいいです。これこそがムサシかもしれないですね。そしてお通も、実はこんな女なのかもしれないなあ。いやもちろん、ムサシもお通も吉川英治が作り出した人物ですが(もちろん、宮本武蔵という剣豪は実在しましたが)、たしかにこんな「才タリン」だったかもしれないなあ。
思えば、なんでお通は武蔵を追いかけているんだっけ。それにオスギおばばは、なんでこれまた武蔵をつけねらっているんだっけ。
私は宮本武蔵に関しては、名古屋の南区にいたときから、実に関心がありました。南区の笠寺に武蔵の座ったという岩があったものでした。そのときから武蔵の話はいくつかのものを読んでいたものです。後年吉川英治を読んで、「ああ、世間でいう武蔵って、こんな人物なのか」と思ったものでした。
でも吉川英治は、野人武蔵を、人間である剣豪武蔵に作り上げた気がしますね。そもそも実際の武蔵も、そう彼の著書の「五輪書」なんて私は内容に少しも納得できないもの。
でもそんな、人間武蔵を、この田辺聖子さんは、さらにもっと書いてくれました。できたら全巻、書いてほしいな。………でもでも、多分吉川英治の宮本武蔵ファンが怒るかなあ?
檀ノ浦
この作品は前にも読んでいました。そのときも、こんなふうに源平の檀ノ浦の戦いを描く作家もいるんだなあ、と思って、少々驚いたものでした。そして驚く俺がおかしいんだと思いました。戦なんて、あんなふうに描いているようにだけ終わっているわけではないはずです。
首くくり上人
この話はとっても愉しいのに、渡辺抜が最後首をくくっていまうのが、なんだか悲しいです。あの時代(保元の乱の時代)だと仕方のないことだともいえるのかなあ。渡辺といえば、渡辺党だから、勇ましく感じるわけですが、この抜(ぬける)は顔姿は物怖ろしいのですが、実はいたってたいしたことはないのです。
でもその抜が、美しい少女に恋をします。でもこの小君という美しい少女は、実にわけが判らず、彼を悩まします。それに実に勝手で怒りっぽいのです。
それで、なぜか最後は抜は首をくくることになります。その首をくくっている足に抱きついて、小君は
彼女は号泣し、狂気のように泣き叫んだ。
「バカ! ほんとに死ぬなんてあんたってほんとにバカだわ、この分からずや!……」
でも、やっぱり私は悲しいよ。


































































