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 大正時代の自意識のことを言うと、多少進歩して明治維新とは違うわけですが、柳田国男という民俗学者と折口信夫という国文学者と、この二人はわりあいに自意識家じゃないでしょうか。
 いわゆる国文学者というのは、それこそナショナリストという、ただそれだけですね。ナショナリストと思っていないナショナリストで、ほかのことはどうでもいいぐらい、そこにのめり込んでいる。だけど折口さんという人は、この人の知識、教養、考察力の基になっているのは何かよくわからないけど、日本における古典的な法、特に刑罰、犯罪法がどこから発生してどうなってくるかというところからやり出して、そういう研究をちゃんと論文化して持っています。古典文学もありますが、そういうことをやっているのはあの人だけですよ。普通に考えているのとは大違いで、そういうことをやっています。
 柳田国男は語学もできるし、外国のこともよく知っていて、国際的な人だけど、やっぱり大正時代の自意識家なんですよ。
(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)

 思えば私は中学生の頃から、柳田国男と折口信夫は少しずつ読んできていました。高校生のときによく読んだ思いがあります。ただ、やはりよく読めるようになってきたのは、吉本さんを知ってからかなあ、という気がしています。これからも読んでいかなくてはならないお二人です。

 写真は1月4日、神田明神の帰りの聖橋の上から御茶ノ水駅を撮りました。