2008年01月11日
いくつものバーを思い出していました
周の雑読備忘録「枝川公一『バーのある人生』」をきのうほぼ読んでいました。それできのうは八重洲ブックセンターに行ったのですが、その他にも歩いている街で、私の思い出の中のバーを思い浮かべていました。
でも俺は、東京ステーションホテルの「カメリア」しか知らないものなあ、そもそもカクテルなんて知らないしなあ…………、
なんて思いながら、カメリアでのバーテンダーさんとの会話を思い出していました。
あの店は昔は日曜日もやっていたので、よく新幹線等で東京駅に着いた日曜日の夜、飲みに入っていたものでした。
たしか、岡崎へ行った帰りに、あそこで記憶が無くなったんだよなあ、疲れていたからなあ……………………、
なんていううちに、その岡崎からの帰りに、私が入ったのは東京駅丸の内口の、どこかのホテルの「サムライバー」だったことを思い出しました。「ああ、あそこだ。兜や鎧が置いてあったんだっけ…」。それで、私は歩くなか、いろいろな街のバーを思い出していました。
いつも必ず飲む、「ドライマティニ」を思い出すうちに、「ああ、宇都宮のホテルのドライマティニが美味かったな」、ということで、「あれはなんであそこで飲んでいたんだ」……………「ああ、あそこ(栃木県小山市)で撮影をしていて、最初だから真面目に宇都宮のホテルに泊まったんだ、俺はホテルの部屋に入るなり、吐き出して(前日の酔いで)、そのあとホテルのバーへ行ったんだ」…………………そこで、ドライマティニで感激しました(宇都宮はけっこういいバーがあるようです)。思えば、そこで仕事に来ていたカメラマンは、私の飲み方に感激し、かつ呆れていました。
でもでも、それは実は1日目のこと。2日目は、もう撮影の仕事の途中で、私は散髪に行き、綺麗になって、その晩は、「今度は私たちの知っている店にいきましょう」というカメラマンの案内で、小山駅そばの「達磨」という店に行きました。これがもう実に感激な店で、今でも私はあの店に行きたいものです。
そして3日目は、仕事を依頼されていたメーカーの招待で、また別なお店に行きました。そこで、最初の店で、私はクライアントの方から、「課長(私はその頃課長職)、あんまり酒を殺して飲んでは身体に毒ですよ」なんて言われたものでしたが、さすが3軒目で、私が歌い騒いでいるうちに、私がずっと黙って真剣に仕事に取り組んでいるように見えたのは、すべて2日酔い、3日酔い、4日酔いのせいだと判って、彼らは、「もう東京の制作会社のクリエーターというのは、こういうものなんだ(あ、これも誤解、でも行ったみんな全員がのんべしたから。第一私はクリエーターではなく、ただの酔いどれです)」と気がついたようです。
実はその翌日も撮影で、実に面白かったものでした。
あ、でもバーということで、私は思い出しました。私がこの「枝川公一『バーのある人生』」に著者が記しているバーで思い出せるのは、湯島の「エスト」です。私はここで、ロンリコという75.5度のラムを飲みます。でもバーテンダーさんは、3杯しか飲ませてくれません(要するに強いから)。でも私は、そこで必ず5杯飲んできました。それはもうごますったり、ごまかしたりいろいろです。
ある私が使っていた人を、ここでこのロンリコを飲ませましたが、最初はその強烈さに驚いていましたが、そのあとからは、彼はこのロンリコの虜になってしまったようでした。
JR千葉駅の裏というか、確か京成線の裏あたりに、ケーキ屋があって、その2階に、いいバーがありました。千葉で仕事のあと、いつも日曜日でしたが、ここで飲んでいました。バーテンダーさんが綺麗な女性で、でもでもそのうち私は記憶がなくなり………、でもいいバーだったなあ。
たしか、市川から松戸まで走っているバスの中頃の駅で、私はあるバーに入っていたことを思い出します。あれはなんであんなところを私は歩いていたのでしょうか。なぜだか、判らないが、私はそこでウィスキーをダブルでストレートで飲むうちに、バーテンダーさんは、私が前にも来たことを思い出しました。でも私はよく覚えていません。
京都へ行くと、たぶん3軒くらい腹いっぱい飲んだあと、四条河原町の小さなバー「リラ亭」に入ります。私はいつも同じことをぶつぶついい、そしてバーテンダーさんが思い出してくれます。でももう京都のあのお店はないかもしれないなあ。
思い出せば、いくらでも甦ります。神田のあのバーも私は好きです。行ってもマスターは私を思い出しません。でもちゃんと覚えているんです。あのバーのグラスが好きで、あるところで見つけた私はすぐに半ダース買いました。でも、もう全部割ってしまいました。私はワンカップのグラスで飲んでいるくらいでいいのです。盃でもグラスでもいくつも割ってしまいます。
でもあのバーは、もう友人が亡くなったあと行きまして、もう悲しくていけません。
あ、悲しいと言えば、私の親友だった堀雅裕さんも、あちこちバーが好きでした。みんな堀ちゃんのことを詳しく知っています。思い出をいくらでも話してくれます。でも私のほうが悲しくってね。あ、でも(と言いまして、もう何時間も経ちました)………………………………、まずはここまででUPします。

































































