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 一つ前の 絵画展「原田文の世界」を見てきました に書いたのですが、この原田文さんのお父さんの原田直示さんは、私と同じ昭和23年の生まれの方でした。でも私のように現実に学生運動をやられた方ではありませんでした。
 それで、グーグルで「原田直示」というキーワードを検索しますと、以下の掲示板が提示されます。

   橋の上の夢

 ここに原田直示さんは、二つの書込みをされています。それでそれに佐々木幹郎さんがレスをされています。それで始めて気がつきました。ここは

   http://voicespace.blog58.fc2.com/  VOICE SPACE

というサイトだったのです。
 この原田直示さんにレスされている佐々木幹朗さんは、このサイトに以下のような紹介がありました。

■VOICE SPACE ―東京芸術大学現代詩研究会―
東京芸術大学音楽学部の学生、院生、卒業生を中心とした、現代詩を研究する音楽グループ。「音楽文芸」講座担当の佐々木幹郎氏、成田英明氏を顧問として2004年に発足。

 え、そうなんだ、ということで、実に懐かしい思いです。幹郎さんは、私よりも1歳年上で、大昔私は京都・大阪でお会いしたことがあります。私が大学6年のときに、1972年7月14日大阪駅前にて、お会いしました。私たちは4名の埼大生グループで、京都駅前でそのとき5名の後陣グループと会いまして、それから大阪に向かいました。ただし、このとき私たちは全員ダークスーツにサングラスでした。京都の夏は暑いのです。そして私たちは貧乏な学生です。でもみんな必死でスーツを揃えました。
 私たちは、それから堺に自宅のある浜野さんという、その昔、革共同全国委員会から参議院選挙に出たという方の自宅へ向かいました。
 私たちは1週間前から京都にいました。立命館大の活動家の「ぷくとん寮」というところにいましたが、ひたすら毎日酒を圧倒的に飲んでいました。しかし、この7月14日はスーツを着る関係上、もう汗の出るビールは飲まず、せいぜい日本酒を飲むだけで、あとは誰も会話もせず、面白くないような顔だけをしていました。サングラスで笑うとおかしいのです、決まらないのです。
 それで大阪の梅田駅で浜野さんの関係の3人と会いました。そのときに佐々木幹郎さんとお会いしたのです。まったく蒸し暑い夏の大阪でも、全員ダークスーツにサングラスの私たちに幹郎さんたちは、どんなに驚かれたことでしょうか。でもそれから浜野さんのお宅でも、私たちは延々と飲んでいました。
 私たちは、夏のことですから、そこでスーツを脱いでも、下着姿になってもちゃんとしているよう、下着も用意しました、ちゃんとちりめんのステテコ姿になったものです。でも実は腹巻きも着けようという気もあったのですが、何しろ私たちは金のない学生です。みんなアルバイト中で、そこで必死になって京都まで来たのです。腹巻きは用意できませんでした。
 私はちょうど上中里の農業技術研究所というところでアルバイトしているところで、卒論のことで、大学の遠い寮に行かなくてはならない、という大嘘をついて京都に来ていたのでした。
 その浜野さんの御自宅に泊まりました翌日、私たちは幹郎さんたちの案内で、桜吹雪の降る中、京都祇園を歩き、やがてみんなで、鴨川のほとりで、みなで輪になってまた飲み出したものでした。あのとき、幹郎さんがご自分の「死者の鞭」の詩を披露してくれたのを思い出します。もちろん、私はそこで、詩吟を披露しました。
 思えば、このときに、ちょうど京都大学に居た、大口昭彦さんと私は始めてお会いしたものでした。

 原田直示さんの名前で、検索しました。思わず懐かしい名前を見つけて、ずっと昔の思い出が甦りました。

 写真は、8日に飲んだとき、「千の朝」のあと、入りました2軒目のお寿司屋さんです。記憶は曖昧ですが、こうして写真を撮っています。