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 産業が歴史的に動いてきて、ハイテク産業で停滞して終わってしまうかというと、そうではなくて歴史的に発展してきているということは依然としてあって、その延長線で発展していくに決っているわけです。そしてやがては、現在考えられているハイテク産業以上のものができるに決っているけれども、同時に現段階ではハイテク産業が自然産業に大量に使われていくことも決っている。
 それが今後どうなっていくかということについての構想力というか、配慮というか、僕の文学上の言葉で言えば、「自己批判をどこかに含んでいる」という言い方をしますし、フーコーみたいな哲学者は「自己への配慮」とか「主体への配慮」という言葉を使っています。いわゆる主体性ということで、「産業は儲けることばかり考えていたら済むというものではない、利潤以外のものとして、自分への配慮を考えなければ、産業なんか発達していかないよ。発達した産業の構想力は持てないぞ」と言えるようにするべきだし、言うべきである。そう考えるべきである。こういうことが現実に出てきたことを意味するんじゃないでしょうか。
(「よせやぃ。」『歴史を流れるようにするとは───第四回座談会』)

「自分への配慮」とは、たしかにこの通りだなあ、と深く考えます。このことが判らないと、たしかに「肉体労働と精神労働」は別なものだと思ってしまうことになるでしょう。このことを現実に深く理解して生きていきたいと私は考えています。

 この写真は25日の朝6時少しすぎ。北柏から自宅まで歩く道で、JRをまたぐ路を見ています。この橋を通ることもあります。