2008年05月09日
周の漢詩入門「岑參『戲題關門』」
「来るときも、去るときも無位無官」という思いを述べた岑参の詩です。
戲題關門 戯れに関門に題す
岑參
來亦一布衣 来るも亦一布衣
去亦一布衣 去るも亦一布衣
羞見關城吏 羞ずらくは 関城の吏に見(あ)わんことを
還從舊道歸 還(ま)た 旧道に従(した)がいて帰る
来るときも 無位無官
去るときも 無位無官
関所の役人に会うのが恥ずかしい
自分はまたもと来た道を通って帰るしかないのだ
洛陽と長安を結ぶ路に、函谷関があります。ここを何度も岑参は往来したものなのでしょう。いつも仕官することを求め、でもいつもそれは叶いません。
これを読みながら、私の20代後半、30代前半を思い出していました。思えば、このときの岑参と同じ歳の頃ですね。「羞見関城吏」、この詩句がよく判ります。たぶん、関守は何も感じないのかもしてません。でもそこを通る岑参の思いは違うのです。辛く羞しく悲しいのです。
思い出せば、私もその頃、コクヨの履歴書を文房具店に買いにいくのが辛かったものでした。すべて違う文房具店に行っても、それでも足りなかったものでした。もうその嫌な経験のあと30代のときには、私は自分の履歴書を印刷したものでした(ただし、手書きに思えるし、かつ印刷したものだとは誰も思えないよ)。
「来るときも、去るときも無位無官」という岑参の思いが辛く私にも伝わってきます。
写真は本日5月9日の朝8時台、孫のポコ汰が来ましたときに、この花を指さして、さかんにさわぎます。「綺麗だ」と言っているのかなあ。それでこの花を高画素で撮り直し、写真画紙に印刷して本人に渡しました。今病院に行っていますから、待っているとき、あの写真を見ているかなあ。


































































