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 昨日銀座で、昨日の26日から31日まで開かれている今村圭さんの絵画の個展に行ってきました。もっと早めに行くつもりだったのですが、朝からいくつものことがあり、午後3時には電車に乗るつもりでしたが、4時を過ぎてしまい、焦って王子駅に行きましたら、山手線は事故があり、不通で、しかも京浜東北線も不通だといいます。私は困って、南北線で銀座に向かうことにしました。そういえば、このごろよくこうしたJRの事故が多いですね。
 それで予想よりはるかに時間がかかって、銀座線で銀座に着きました。そして銀座7丁目10番のギャラリーモトキを探して到着しました。
 すぐに今村圭さんにお会いできました。思えば、前にお会いしたのは、もう4年前のことなのですね。

 それで、今村圭さんの絵を拝見しました。だが私には、そもそも絵画を見る能力がないのです。これは、私の娘や妻がいつも感じていることでしょう。
 だから、私は見た絵に関する印象が頭にやきついていますが、まず以下に、この展覧会の知らせにありました葉書にあった、美術評論家の瀬木慎一さんが書かれていることを書き抜いてみます。それで、少しは、私にも理解できるようになれたらいいなあ、と思うところなのです。

 今回の個展のテーマは、"FIELO OF LIFE" であるという。
 生命あるいは人生のフィールドは、有限だが、単純ではなく、多元的で、極めて複雑である。
 絵画において表現する場合にも、「色と形から成り立つ」と一口で言うが、それらの要素の組み合わせは簡単でなく、それどころか、文字通り複雑で、交感、対立、錯綜、葛藤を全面に受けて、可能な限り新たなスキームを案出しなければならない。
 単純な調和は無意味で、平坦な均衡も退屈であり、統一のありえない弁証法のように思える。
 そのような果てしない表現の地平線に向かって直進するこの画家のフィールド・ワークは果敢である。(美術評論家 瀬木慎一

 私には、いくら読んでみても判らなかったことが、こうして文字を自分で書くことで、少しは何がつかめた思いになるものです。
 "FIELO OF LIFE"って何だろうと思いました。訳すと、「人生の領域」ってことかなあ? でもやはり、こうして漢字で表現してしまうとまた少し違う思いもしてしまうものです。でもそう思うと、あの私が見た絵をまた思い浮かべてしまうのです。
 そして、今村圭さんともお話した中で言われたのですが、これは油絵でないわけです。アクリルと水彩絵の具なのですね。
 私は一切絵というものは描きませんので、こうして絵を描かれているときの気持は判りません。でも描きながら、この絵の中の色にも形の中にも、自分が泳いでいる、浮遊しているような気持にもなれるのでしょうか。
 思えば、長女おはぎにも見てほしいなと思いました。私のような、無感動な人間よりも、もっと何かがつかめるのでしょう。ただし、今の長女には、自分の家族のこと、自分の長男とお腹の中にいる赤ちゃんのこと、自分の彼のことで頭がいっぱいだと思います。思えば、それはそれでいい時間と空間に居るのだと思います。
 ただ、私はこうして今村圭さんの絵を見て、こうして今それを思い出して、いくつか考えてみる瞬間を味わえたことは、実に良かったことでした。

 この写真は5月26日のこの今村圭展をやったビルです。