2008年06月30日
わが家のおかあさん2008.06.29 へのコメント
わが家のおかあさん2008.06.29 へ ナミちゃんから次のコメントがありました。
1. Posted by なみんと 2008年06月30日 11:15
自分の故郷って格別な思いなのでしょうね。
家族で楽しく暮らしていても自分が小さかった時の時間はかけがえのない安心しきった心から癒される時間として懐かしいです。そんな思いを今度は自分の子ども達に与えたい。。周さんのお父様。。故郷が懐かしかったのでしょうね。それをあとから追いかけた周さんの優しい気持ちにも凄く共感します。私のおば(父の妹。。今89歳・)は時々電話をしてきては・・あ○○に帰りたい。。といって泣いています。私はそんなおばの思いを是非実現させてあげたいって本気でおもっているんですが。。連れてくる方が最近は大変になってしまったようです。残念です。おばは認知症状が数年前から出ています。
父が生きていた頃ははよ〜く埼玉からきていました。仲の良い兄妹でした。。それを見守る心の広い優しい母の存在も大きいでした。
どうもありがとうございます。そうですね。私の父の場合は、「自分の故郷」というよりも、「自分の家」を長男の息子がどうしているかということが心配だったのでしょう。なにしろ、戦前から、その家とは離れて、戦後はとくに、日本中を遠く離れてくらしていたのですから。
それで父の実家を継いでいる私の従兄が、実は世界的にアナログオーディオの収集家としては、世界に知られた人で、もう父に実家には、ものすごい機器がたくさんあります。昔のナチスなんかが出てくるニュース映画等で見る馬鹿でかい機器がいくつもあります。それをヨーロッパのこれまた収集家が情報を見つけて、購入に来るのですよ。私の従兄もまたヨーロッパ等に、そのことで行っています。まあ、私にはまったく興味のない世界です。そのことで、忙しい従兄を、私の父も見て、何故か安心したんじゃないかなあ。
今は、私の義母も、自分の故郷へ帰って、自分の弟がちゃんとしているのを見れば、それで少しは気が晴れるんじゃないかなあ、と思っているのです。だから、私は義母を、私の妻と私とで、あるいは妻だけでも連れて行ってほしいと思っています。そしていっぱいデジカメでいくつものものを撮っておくのですよ。
でもナミちゃんの叔母さんが埼玉県なら、まだ近いじゃないですか。私の母は、札幌だ、秋田だ、鹿児島だと大変でしたよ。秋田にいるときに(私の弟が生まれるときだろうけれど)、母親(私の祖母)が会いに来てくれていました。鹿児島に居るときに、母の父(私の祖父)が亡くなり、母が飛行機で行ったのを覚えています。
母は昨年亡くなりましたが、その姉はまだ元気です。この私の伯母は、私の母と違って、ものすごい美人で、私が東大闘争で府中刑務所にいるときに面会に来てくれたものでした。私の母が80歳を過ぎても、いつも「姉ちゃん、姉ちゃん」と慕っていたのを思い出します。
私の父は、84歳の自分の誕生日に亡くなりました。たぶん、自分で死ぬことを求めていました。自分が認知症みたいなものになることを一番嫌がっていたものでした。この父のことでも思い出すことが実にたくさんあります。





























































































