2008年07月04日
吉本隆明鈔集「百人の人が同じ小説を百回ずつ読んだとする。そうすると百人の感想はだいたい同じところに行き着くのではないか」
たとえば、百人の人がある小説を読んだら百通りの意見・見解・批判が出てくるだろうと思います。百人の人はそれぞれ読んだ印象も違うし考えも違いますから、「おまえとオレとはずいぶん違うな」ということになります。それはそれでいい。読者としてはそれでいいわけです。
では、このように違う見解を持つ百人の人が「同じ小説を百回読んでくれ」といわれて百回読んだとすると、どうなるか。「百回」というのは比喩的にいっているわけですけれども、百人の人が同じ小説を百回ずつ読んだとする。そうすると百人の感想はだいたい同じところに行き着くのではないか。ぼくはそう考えています。
「同じところ」とはどこかといえば、作者です。作者の表現技術もふくめた相対的な芸術観とか芸術に対する理念、そういうところに収斂していくだろうなと思います。(「日本語のゆくえ」『第一章芸術言語論の入口 『言語にとって美とはなにか』のモチーフ)
このことが、『言語にとって美とはなにか』ののモチーフだといいます。私がこの本を読んだのは、25歳のときに、歯医者の治療に長く通っていたときに、その待ち合わせの場所で集中的に読んでいました。だが今になって、やっとこの言われるところに頷いている自分がいます。なんだか、情けない自分を感じると同時に、それでもこの本をあの時期から熱心に読んできていて良かったなあ、という感慨があります。





















































































