2008年07月13日
周の漢詩入門「藤田東湖『將渉小梅過吾妻橋畔有感』」
藤田東湖は、私が随分昔から好きだった私の郷土の偉人です。弘化元年(1844)、東湖が39歳のとき、藩主水戸斉昭が失脚し、この東湖も向島の水戸下屋敷小梅に蟄居を命じられます。その小梅に向かう路すがら、吾妻橋を過ぎるときの感慨を述べたものです。
將渉小梅過吾妻橋畔有感 藤田東湖
将に小梅に渉(うつ)らんとし、吾妻(あずま)橋畔(きょうはん)を過(す)ぎ、感(かん)ずる有り
青年此地嘗遨遊 青年此(こ)の地 嘗(かつ) て遨遊(ごうゆう) す
花下銀鞍月下舟 花下(はか)の銀鞍(ぎんあん) 月下の舟
白首弧囚何所見 白首(はくしゅ)の弧囚(こしゅう) 何の見る所ぞ
滿川風雨伴き愁 満川(まんせん)の風雨 き愁に伴う
青年の頃は此の地で遊んだものだ
美しい鞍をうたせて花を賞し、ある時は月下に舟を浮かべたものである
今は囚人の身となって此の地を過ぎる自分を慰めてくれるものは何もなく、
隅田川一ぱいに降る雨と吹き渡る風の淋しい光景が一層の悲しくなるばかりである。
藤田東湖は、水戸斉昭のもとおおいに藩政改革をしていましたが、門閥派のために斉昭が失脚し、このとき、この小梅に蟄居させられます。
だがペリーが来航するに及んで、斉昭が再び起用されて幕政に参与すると、東湖もまた復します。
ただ、東湖は安政2年(1855)10月2日江戸大地震で、水戸屋敷で母をかばって圧死してしまいます。
写真は7月8日の成就院です。もっと前に来ていましたら、ここは紫陽花でいっぱいだったでしょう。

