2008年07月13日
吉本隆明鈔集「文学体と話体」
小説の文体には「文学体」と「話体」があるわけです。おしゃべりの言葉というか言文一致に近い言葉、もっと正確にいえば話すような心的状態で書くのを「話体」と呼べば、そうじゃなくて書き言葉に固有の表現を用いるのを「文学体」と呼ぶことができる。これはどっちがいい悪いとか、あるいは「文学体」は純文学で「話体」は大衆文学だという意味ではなくて、「話体」を得意にする作家と「文学体」という凝縮された文体で書いている作家がいるという事実の問題です。
例を挙れば、太宰治はもっとも優れた「話体」の作家だし、夏目漱石は近代文学のなかではもっとも優れた「文学体」の作家だと思います。したがって、この区分は芸術の価値とは何の関係もありません。(「日本語のゆ」くえ『第一章芸術言語論の入口 『言語にとって美とはなにか』のモチーフ)
こうして夏目漱石と太宰治とを挙られて、実によく判る思いがします。思えば、この頃太宰治の文章がますます好きになってきましたし、また漱石の作品も今また読み直そうと思っているところです。そしてこの二人の作家の時代背景もまたよく思い浮かべています。
この写真も7月8日の成就院の前の路です。

