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 漢の武帝(BC156〜87)は、前漢王朝の第7代の天子で、姓は劉、名は徹。16歳で即位し、在位期間は54年の長きにおよんだ。この作品は、武帝44歳のときの作品です。

   秋風辭      漢武帝
  秋風起兮白雲飛  秋風起こりて 白雲飛び
  草木黄落兮雁南歸 草木黄落(こうらく)して 雁南に帰る
  蘭有秀兮菊有芳  蘭(らん)に秀(はな)有り 菊に芳(かおり)有り
  懷佳人兮不能忘  佳人を憶うて 忘るる能(あた)はず
  泛樓船兮濟汾河  楼船(註1)を泛(うか)べて 汾河(註2)を濟り
  埣耄兮揚素波  中流に圓燭呂蠅董〜杷函蔽陦魁砲鰺箸
  簫鼓鳴兮發棹歌  簫鼓鳴りて 棹歌を発す
  歡樂極兮哀情多  歓楽極りて 哀情多し
  少壯幾時兮奈老何 少壮幾時ぞ 老いを奈何せん

  (註1)楼船(ろうせん) 二階造りの船。屋形船。
  (註2)汾河(ふんが) 黄河の支流。汾水。
  (註3)素波(そは) 白い波。

  秋風が立って白雲が飛び、
  草木は黄ばんだ葉を落として雁が南に歸る。
  蘭や菊が香るこの季節、
  美人を思い起こして忘れることができない。
  楼船を泛べて汾河を渡り、
  中流に横たわって白い波をあげる、
  簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
  歓楽が極まるうちにもなぜか憂いの思いが多くなる
  若いときはいつまでも続かぬ、老いていく身をどうしていこうか。

 この皇帝のときに、前漢が最隆盛の時代を迎えます。漢の高祖でも成し遂げられなかった匈奴を打ち破り、西域をも漢の支配権下に置きます。

 だが、この武帝の周りは、すべて帝を礼賛する臣下だけが集まり、匈奴と雄々しく戦った李陵を彼が匈奴に下ったからということで、妻子まで殺害し、さらにこの李陵をかばった知人の司馬遷を宮刑にしました。李陵は無実であり、司馬遷はどんな悔しい思いで生き延びたことでしょうか。そして、この皇帝のときに匈奴に使いした蘇武は、19年間バイカル湖のほとり送られていましたが(雄の羊が乳を出したら、漢に帰してやると匈奴が言ったといいます)、この武帝の死後次の昭帝のときに、帰国できました。
 この蘇武と李陵が一緒に詠った詩が今も残されています。
 そして李陵の無実を普通に言っただけでしたが、重い刑罰を受けてしまった司馬遷は、間違いなく悔しさの中で、『史記』を作りあげます。この時代は、まだ紙のない時代です。竹を切って、その竹の裏に書いたものが、この『史記』なのです。今読んでも、あれほどの膨大な歴史書は他には考えられません。
 したがって、どうにも私には好きになれない、この武帝ですが、この詩は、なかなかいいものだなあ、ということだけは感じています。

 この2番目の写真は7月22日午後5時代の谷中です。