aa3151e6.jpg

 吉本隆明鈔集「芸術的価値はもっぱら自己表出に依存する」 に、吉本さんは次のように言っていることを私は書き出しました。

自己表出とは何なんだといえば、厳密にいえばこうなります。自分と、それから理想を願望するもうひとりの自分とのあいだがどれだけ豊富であるかということ、これが自己表出の元であり芸術的価値の元である。

 自分が何かを見て、例えば、路を歩いている私の孫ポコ汰がそこにある花に、「おお」と感激しているだろう姿を見て、私は「うう」と声をあげたとすれば、私のその自己表出には、たくさんのことがあります。「自分と、それから理想を願望するもうひとりの自分とのあいだがどれだけ豊富であるか」ということを、ものすごく感じるものです。

 その次に書いた 周の漢詩入門「白居易『香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁』」にても、私は次のように書きました。

 すると、清少納言が立ち上がり、簾(すだれ)を巻き上げました。これで中宮は喜びました。これが『白氏文集』中にあった白居易の七言律詩を踏まえて言ったものなのです。

 つまり、清少納言は窓の外の雪をみて、つい立ち上がって簾を巻き上げたわけですが、たぶん、その簾に手をかけたあたりで、『白氏文集』の中にあった白居易の七言律詩を思い浮かべたものでしょう。これが「どれだけ豊富であるか」と言われる中身なのです。
 中宮定子は、それをすばやく判ったし、それで美しい顔をにっこりとされたはずです。

 こんな清少納言の振る舞いが、実は紫式部なんかが気に入らないところなのでしょうね。でも紫式部も、この白居易のこの詩については、言っているのです。白居易の愛好者であった紫式部はこんなことで得意になる(別に私には清少納言が得意になっているようには思えませんが)のが心から嫌だったのでしょう。
 私には、このときの中宮定子の笑顔に、実に嬉しい思いがするだけなのです。

 あ、それから、私は私の毎週月曜日配信している マガジン将門 にも、この「吉本隆明鈔集」も「周の漢詩入門」も掲載しているわけですが、実はこの二つが一番大変なのです。
 私は「吉本隆明鈔集」を書くために、毎回吉本さんの本を読み返しています。そして必ず、知らず知らずに、どんどんと読んでしまっています。そしていつも、「あ、読み進むのではなく、言葉を探し抜きだし解説しなくちゃ」と考えて、いつもあわててしまいます。
 また「周の漢詩入門」も大変です。……………、あ、でもこれはまた次に書いていきます。

 写真は、21日の夜夕食のときの私の目の前。