2008年09月16日

吉本隆明鈔集『詩の上では、「いま、現在」だけが存在価値だ』

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 現在の二十代、三十代の詩人の詩を、詩あるいは歌謡として神話に使おうとした場合、どんな神話をつくったらいいのだろうか。そういう想定をしてみるのがいちばんやりやすいように思いましたので、そんなふうに考えてみました。 まず、神話が必要な人物ないし統治者としてだれを想定すればいいのかといいますと、少なくとも今の二十代、三十代の詩人の詩を読んでいるかぎり、それはまったく類推できない。つまり、彼らの詩を読んでいるかぎり、神話が必要だという魅力ある人物ないし勢力(集団)を想定することは不可能だ。そういう問題がまず第一に浮かび上がってきました。
 これは二十代、三十代の詩人だけにかぎらず、全体的にいって現代はそうした神話的人物を思い描くことが不可能なのかもしれませんが、また事実としても、二十代、三十代の人は過去あるいは未来にかけて何らかの意味で神話的な想像力を必要とする人あるいは集団を選ぼうなどと考えていないように見えました。そうしたことについても関心は「無」に等しいというか、少なくとも詩を見るかぎいは、何も考えていないように思えました。
 それはなぜかといえば、過去を振り返ったり未来を展望したりするのが嫌いだというか、そんなことはしたくないというのは本音なのではないかと思えます。
 そうすると、少なくとも詩の上では、「いま、現在」だけが存在価値だということになります。「いま、現在」がどうなっているかということにしか関心をもっていない、それしか考えていない、全体として、そういうことは非常にわかりました。
(「日本語のゆくえ」『第五章若い詩人たちの詩』)

 これは、いいことなのかもしれません。過去の私たちのように、何か別なものにとらわれて、自分の表現もそれに合わせてきたことよりはいいのかもしれません。ただ、何か力強さみたいなものは少しも感じられないところにもつながっているように思えます。



 写真は9月12日の夕方、両国橋の近くで見た隅田川です。


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