木戸孝允の詩はいくつか見てきていますが、この詩にも、木戸孝允らしい性格の律儀さみたいなものを感じています。

    逸題   木戸孝允
  掃盡千秋帝土塵 掃き尽くす千秋 帝土の塵を、
  旭輝自与岳光新 旭輝(註1)自ら 岳(註2)に光の新たなるを与ふ。
  東巡今日供奉輩 東巡今日(註3)の 供奉の輩は、
  多是去年獄裏人 多くは是去年 獄裏の人。

404ab6cd.jpg (註1)旭輝(きょくき) 昇ってくる朝日
 (註2)岳(がく) 大臣諸侯
 (註3)東巡今日 東京遷都の明治二年のきょう

  天子の国土をすっかりはき尽くし、
  昇ってくる朝日は、自ずから新政府の高官に対して、光の新たなるを与えている
  東京に遷都するきょうの晴れの舞台の顔ぶれを見れば、
  多くは昨年まで、獄中で過ごしていた人ばかりだ。

 維新の三傑(この木戸孝允と西郷隆盛、大久保利通)の中で、孝允は一番若いのです。

  木戸孝允(天保4年6月26日〜明治10年5月26日 1833〜1877)
  西郷隆盛(文政10年12月7日〜明治10年9月24日 1828〜1877)
  大久保利通(文政13年8月10日〜明治11年5月14日 1830〜1878)

 思えば長州藩が一番維新のときには、過激に走りましたから、幾多の同士たちを亡くしています。その中では孝允だけが生き残ったと言える存在でした。でもこの三人も、言わば同じ年と言えるときに亡くなっているのですね。
 孝允は西南の役の中亡くなりまして、西南の役の最後西郷が亡くなりまして、その翌年利通は不平士族に出勤途中を襲われ殺害されました。
 この人を思うと、いつもなにか細かく話続けている彼を思います。苦心苦労の生涯だったのだろうなとばかり思ってしまいます。そして伊藤博文こそがこの人を継いだのだろうなと思うのですが、でも私には、明治政府は山県有朋が引き継いで行ってしまったと思えていまして、その意味では、孝允の意思は途絶えてしまったような思いになってしまうのです。

 写真は9月15日午前に撮りました都電の栄町の停留所です。長女家族が池袋へ行くのを送ったのです。