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 本日私は午前3時55分に目が覚めました。その私が目が覚める直前まで、私は昔つき合っていたコピーライターの田口賛吉さんの顔を見ながら打ち合せている夢を見ていました。

 思えば、私はこの「夢の中の日常」ということで、自分が見た夢の内容を書いてきていました。でもこのごろは書いていませんでした。別に夢を見なくなったのではありません。でもなんだか、書かないままきてしまっていました。また私の見た夢のことは書いていくようにしたいと考えてします。

 この田口さんとは、1979年の秋に、私が赤坂の広告制作会社で、プロジューサーをやっていたときに、初めて会いました。彼は、「田口アドバンス代表田口賛吉」という名刺で、もう一人のグラフックデザイナーを連れて面談したと思います。
 その後はずっと彼とはつき合いました。彼が一緒にやっていたデザイナーが少し頼りなくて(真面目な方でしたが)、その後は彼だけでコピーライターとしてのみやっていて、そのときもずっと私の会社の広告コピーを依頼していました。
 私がこの会社を去ったあとも、私は彼とつき合っていました。
 私がこの赤坂の広告制作会社にいたときは、この親会社は少し大きな広告代理店で、ここの若い社員はみな大学卒に新人たちですが、彼らはもともと自分で広告制作をやりたいという思いばかりの気持を持っています。でも実際は、大学卒業しただけの人間に広告なんかまともに作れるわけがないのです。
 ただ、彼らもすぐにグラフックデザイナーは、到底自分たちにはできない仕事なのだということはすぐに理解するのですが、ことコピーライターというと、原稿用紙に字を埋めていくのですから、自分の容易にできるのではないかと錯覚してしまいます。これが実に面倒なことでした。
 クライアントと、私たちの連れていくクリエーターたちの間で、AE(アカウントエグゼクティブ)として振る舞えればいいのですが、ほぼ大学卒の子たちは、デザインは無理だけど、コピーならできると思い込んでしまいがちなのです。
 だから、もうそういう阿呆な若い奴は面倒でなりませんでした。だから、そこらへんは私がプロジューサーとして仕切らないとならないのです。
 そこらへんは、いつもこの田口さんには迷惑でご面倒をお掛けしたものです。
 でも私がこの赤坂の会社を辞めたあともお付き合いが続きました。神田会に属していただき、何度か会合にも来てもらったものでした。

 彼は千葉市に住んでいて、住んでいる住所に知っていましたが、のちに身体を悪くしたということを聞いていまして、その後連絡はとっていません。彼がホームページを開設したことはよく電話で話したものですが、そのホームページも今はないのですね。

 グーグルで、「田口賛吉 コピーライター」で検索すると、私のメルマガの他、彼のことが次で出てきました。

  http://www.stad-mg.net/cf/artist/artistmain/writers/taguchi.html
                      企業組合コミュニティフォーラム

 彼に関するデータは次のように出てきます。

田口 賛吉 たぐち さんきち
history 立教大学文学部科卒業後、1970年毎日広告社にコピーライターとして入社。ラジオ・テレビ制作部に所属し、森永牛乳、横浜プリンスホテル、ピジョン、山田うどんなど、ラジオCMを主体にコマーシャルフィルム、生CMなどを制作。その後、代理店や制作会社数社に勤務。1983年よりフリーランサーとして独立。

その他主な仕事先
銀座松坂屋、フジサワ名店ビル、高島屋、西武不動産、ライダース・パブリシティ、三菱農機、セイコー電子工業、NTT、集英社(美術書)、福式書店など

favorite works  ●コピー制作(新聞・WEBページ・雑誌・DM・パンフレット・チラシ・ポスター・案内状・POPなどあらゆる媒体、ツールなど)
●編集取材執筆(社内報・PR誌・会社案内など)
●テキスト入力(タイピング入力・OCR入力・音声入力)
●そのほか社史、自叙伝・自分史の執筆、支援など

comments 東京だけの仕事だけでなく、永年千葉での暮らしの中で蓄積してきた情報や体験を生かし、愛着のある地域に役立つ仕事をぜひともしてみたいと思っております。受け手と送り手との密接で、インタラクティブな関係が、これから強く求められると思います。

 思えば、私のほうから電話してみようかな。あ、でも思い出せば、何回か電話したけれど、連絡がつきませんでした。彼の行く飲み屋も新橋にあったので、そこも数年前に行きましたが、彼はしばらくきていないということでしたね。

 たしか彼は私より年上だから、たぶん現在63歳くらいですね。

 そして私は、夢を見た今朝、この文を書き出して、最初は「Tさん」としていましたが、この上のデータがインターネット上にあったわけで、それなら田口賛吉さんという名前も出していいのだろうと考えたものなのです。

 今朝の夢の中では、懸命に仕事の打ち合せをしていました。また、彼とは、仕事はできなくても、一緒に話をしたいなあ、なんて強く思いました。そんな思いを実現できるために、彼は私の夢の中で、私と懸命に話してくれたような思いがしてきたものです。

 写真は9月19日の午後6時10分の「千駄木『浅野』」。