2008年12月04日
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『聖書』の外典には『マリアの福音書』などもありますね。(外典の、そのまた外なのかな?)
マリアはイエスの妻だったという話があり、また、マリア系の教会がかつてはあったようです。
ええと知らなかったことなので、驚きまして、インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみまして、でもそれでまたたまげています。
「マリアによる福音書」という項目があり、読んでみてさらに驚いています。マグダラのマリアがイエスの妻だったという話は知っていましたが、それが19世紀、そして20世紀のつい近ごろに判るのですね。
カトリックとその分派であるプロテスタントの葛藤があり、カトリックと正教の葛藤があり、イスラムやユダヤ教を入れた旧約ベースの信仰の対立があり、他人事ながら、何とかならないかと感じるのが人情です。
たしかに「何とかならないのか」とは思うのですが、でも仕方ないことですね。でもやっぱりヘーゲルが出てきて、「法」という概念をちゃんとしたことはいいです。ドイツでもフランスでも、みなキリスト教の信仰はあるのでしょうが、裁判官も弁護士も誰もかも、信仰よりも法により現実の動きはしているはずです。これが残念なことにイスラムでは、まだ信仰を優先してしまうところがあるのです。
ただし、次のことも嫌なことです。
それは、こちらはこちらで始末がついているわけではないからです。
例えば、中国が漢民族という虚構から目覚めるにはどうするか? といった問題ですね。
私なんかも、まだ判っていません。漢民族というのは、現在とその前は明だったと言われます。そして長い中国の歴史の中で、どこが漢民族なのでしょうか。
最初の強力な中華帝国を作った秦の始皇帝の秦帝国も、実はもともとは西方の異民族だと言われていたものです。でもその前の周の国も、実は西方から来た異民族だと最初には言われていました。
いや、その前の神話の時代を思い出しても(周の前の殷とその前の夏を思い出しても、さらにその前を思い出しても)、みな異族がたくさん出てきます。
別の言い方をすれば、国家の成立によって世界を相対化できたのですが、国家は何をもって相対化できるのかという問題です。
私にも判らないことですが、共同幻想ではなく、対幻想、家族のことにより、何かが解けるのかなあ、なんて午前中、長女に家に行きまして、孫と遊びながら思っていました。




























































































