2008年12月05日
「往復トラバ:死刑の伏線の流れ」へのトラックバックの3
「往復トラバ:死刑の伏線の流れ」へのトラックバック へのトラックバックに目森一喜さんがさらにトラックバックをくれました。
「マリアの福音書」をふくむ聖書外典はグノーシス主義です。ヘーゲルもグノーシス主義者ですね。
カトリック的な法概念と、グノーシス的な法概念の違いがあり、近代法はグノーシス主義的という事になります。
「グノーシス主義」って、そういうことなんだ、と少し知りました。
はい、漢民族というコンセプトは、清朝を打倒するための政治的なスローガンだったのだと思います。最もうまく行った政治宣伝のひとつですね。今、自分を漢民族だと意識する人々の祖先は、20世紀に入るまで、そんな意識を持たなかったでしょう。
要するに、漢民族など、馬鹿話もいいところのものですね。
毛沢東もひどいけれど、孫文なんかひどいなあ。そしてでも、私なんかこういうふに言い切れません。中国のことを、どうしても尊敬しちゃう傾向が私にはあるのですね。
中国は広いから、孫文は満州なんか、日本に売ってもいいという気持だったでしょう。でも広大なロシアがアラスカを米国に売るのとはわけが違います。アラスカにはほぼ人はそんなに住んではいなかったでしょうが、満州はたくさんの人が住んでいました。
対幻想も、自己幻想も、共同幻想の影響を受けるというか、共同幻想によって作られるところがあります。ですから、国家の相対化というと、吉本さんの中では、心的現象論とハイ・イメージ論の展開に行くのかもしれません。
「心的現象論」は、誰ももっとも読んでいない吉本さんの著作でしょうね。この本がこのごろ全編5万円くらいで売られているのですね。もう私は購入しようかどうか悩んじゃうのですね。「ハイ・イメージ論」は何度も読み直しました。好きな作品です。
でも私は、昨日ポコ汰を膝に抱いて絵本を読んであげていたときに、対幻想が共同幻想を打ち壊していけるのかもしれないなあ、なんてチラッと思っていたものなのです。





















































































