2008年12月06日
周の雑読備忘録「『図書新聞第2897号』」
新聞名 図書新聞第2897号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 平成20年12月13日
読了日 2008年12月6日
一面の松田政男の「大島渚著『大島渚著作集』によせて 映画=運動の渦中に今も居つづける」を読んで、最初の最初は、「なんでいまさら、大島渚なんだ?」という思いでしたが、すぐに内容に引きつけられました。
特記しておきたいのは、『青春残酷物語』『太陽の墓場』を経つつ六〇年安保闘争を私は六月行動委員会のメンバーとして通過し、その夏の一日、今は亡き小山弘健さん宅で『日本の夜と霧』の脚本討議に参加する。これまた今は亡き春秋社の岩渕五郎さんの肝煎りで旧日共体験のある何人かが招集されて、小山弘健さんの姪にあたるという小山明子さんを囲んで意見を交わしたのである。眼目はラストシーンで吉沢京夫扮する日共党員の絶叫演説が、台本では空白のままになっているのをいかに埋めるかにあって充実した会合であった。
その『日本の夜と霧』を見たのは六〇年秋の十月九日だったはずで、王子労政会館で開いた六月行動委員会の安保総括集会で、吉本隆明・黒田寛一・丸山眞男・久野収・秋山清・大沢正道と空前絶後の顔ぶれが集合した帰途で、三一書房の正木重之と同道した記憶が今も生々しいのはその翌日から上映中止となったからで、或いは私は現存者では映画館で『日本の夜と霧』を見た貴重な(!)観客の一人ということになるのかも知れない。いずれにもせよ、この時期の私は文字通りの一観客として、大島渚の映画に応接していたのだ。
私もこの映画は見ましたが(どこで見たのか思い出せない)、どうにもこの映画の60安保の描き方にが解せないものでした。60年安保は、もはや日共は関係ありません。だからあのときに、日本共産党の姿に、「夜と霧」を見るなんて、私はどうしても解せませんでした。
でもこの松田政男さんの書かれていることで、少し理解できました。ラストシーンのあの日共のくだらないアジテーションは、くだらないけれど、やはり重要なのですね。あの60年にも、やはり日共は、夜と霧を作り出した、非情な壁だったのです。
まさしく「擬制の終焉」が、あの時なのですね。




























































































