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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月25日、このUPがありました。

 2006年9月、長野県小諸市の小学6年生の女の子が、携帯のネットで知り合った男性に会いに行ってしまった事件は、全国的に話題になりました。覚えている方も多い事でしょう。
 いわゆる「出会い系サイト規制法」でも「18才未満の子どもは出会い系サイトを利用してはいけない」となっていますし、我々大人は「ネットで知り合った人に会いに行くな」などと子どもに言います。

 この事件は私は覚えていません。でもこれに類似したことが起きていることはよく感じています。ただし、私にはこうした子どもたちの心の中は少しも判っていません。

 しかし、なぜ子ども達はそんなに“会いに行ってしまう”のでしょうか?
 一つ参考になる情報として、ユニセフ(国連児童基金)が世界の先進国(約30カ国)の子ども達の実態調査をした統計があります。

 ぜひとも、この「SHIROのポメラ日記」のここにあるグラフを見てほしいと思います。もうただただ驚いてしまいます。ここには、

   「孤独を感じた事がある」15歳
    「自分は未熟で居場所がない」15歳

の二つのグラフは、この日本が第一位になっているのです。

 15才の子どもに「あなたは孤独を感じた事がありますか?」と質問すると、他の国はほとんど10%以下なのですが、日本だけ約30%でダントツのトップなのです。
 同様に、「自分は未熟で居場所がないと感じていますか?」という質問でも、約18%で日本はトップになっています。
 つまり、日本の今の子ども達は「わかってもらえない」大きな孤独を感じていて、「こんな僕じゃダメ」「どうせ私なんか」と自己評価が低い子が多いのです。

 だからこそ、日本の子どもたちは、ケータイで知り合った同じ子どもたちや、少し年上の大人たちに、話を聞いてほしい、話をしたいのだと思います。ケータイなら、どこででも連絡がとれるのです。

 そんな時、ネットで知り合い、優しい言葉をかけてくれる人に対して、「この人ならわかってくれる」「今の自分じゃダメだけど、この人に付いていったら新しい可能性があるかもしれない」と思ったら、会いに行ってしまうのです。
 大人からすれば「知らない人に会いに行くなんて危ないじゃないか」と思うのですが、「危ない」は「自分は大切で守るべきものだ」という意識があって初めて成り立ちます。「自分なんてダメダメだ」と自己評価が低い子どもは、危険なハードルを飛び越えてしまいます。
 ですから、「出会い系サイトを見るな」「会いに行くな」などと言えば済む問題ではありません。「私は大切な存在だ」「ここにいて幸せだ」と子ども達が思えるような環境を、家族や地域の大人達がどう作っていくかが大切なのです。

 だから、単純に「『出会い系サイト』はダメだ」「そんなところにすぐにアクセスできる携帯はダメだ」としか思わないし、そうしか言えないのです。

 私の高校時代の友人が、携帯電話を子どもから言われて、やっと持ったのですが、その子どもが少しも携帯電話で電話してこないというのです。その子どもたちは、お父さんに、「だから、ケータイメールしてきて」(実際にその親子の会話も直接私は聞きました)というのですが、お父さんには判らないことなのです。私にも、何度かケータイ電話してきても、私はいつも出られない時間と場所でした。あるとき、朝私が急いで歩いているときに、ちょうど柳田公園を歩いていたのですが、そのときに、携帯電話があり、私が「今はとても電話では話していられないから、ケータイメールをくださいよ」と言ったのですが、彼は、これじゃ息子と同じだと思ったらしく、それからは何の連絡もくれません。よっぽどケータイメールが嫌らしくて、その後は年賀状もくれません。

 いえ、私には、この感じの友人が何人かいます。もうこうなると、私が和紙の手紙を出しても取り返しがつかないようです。彼には、私の、ケータイメールも和紙の手紙も、インターネットもホームページも、私がよく喋る漢詩のことも、三派全学連のことも、すべてが嫌なことのようです。

 写真は、1月28日の午後4時代の日本映画専門チャンネルでの、宝塚歌劇の随分昔の映像です。