a1322db5.jpg

 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 現代に生きてしまった私たちには、携帯電話というものは、大変な存在になってしまったのだと思います。

実際に携帯を子どもに買い与えることになったら、くれぐれも「はい、契約してきたから」とそのまま子どもに手渡してはいけません。

携帯安全教室
 携帯を使う前に、まずは基本的なルールや危険への対策などを親子で確認しましょう。

 この通りだなあ、と思います。
 前にも書きましたように、私のところでは娘二人に携帯電話ではなく、PHSを与えたのは、1993年春のことで、中学2年と3年のときでした。私は1992年春に携帯電話を持った時期でした。

 でも、私の妻は、二人が高校生になったら、二人から、このPHSの料金も徴収しましたが、同時に、家の電話代も細かく調べて(それはNTTがやってくれます料金表の明細を、相手電話番号で、相手が特定でき、誰がかけたか判ります)、それで二人から徴収していました。こうなると、二人は、お小遣いだけでは到底足りませんから、アルバイトをしていました。二人とも、学校が終わってから通うアルバイトは、とてもいい経験だったと思います。
 思い出せば、二人がやっているアルバイト先へ私も行ったことがありましたね。次女がやっている柏の駅ビルのそば屋さんに行って、ビールを飲んでいたことを思い出します。
 この妻のやった、「自分がかけた電話料金は自分で支払う」ということは、二人に大変にいいことをもたらしたと思っています。

 これは小学校でやる「交通安全教室」と一緒です。なぜあれだけ交通安全教室をやるかと言えば、交通ルールや事故の危険性を知らないで道路に出ると、たちまち危ない目に遭ってしまうからです。
 同様に、携帯を持つという事は、それを通じてインターネットという新しい世界へ入っていく訳ですから、その前に「携帯安全教室」で危険性やルールを知っておかないといけません。

 私の二人の娘がPHSを持ち出した頃は、まだインターネットはそれほどのものではなく、まだパソコン通信の時代でした。でももうすぐにケータイでもPHSでもメールが中心になっていきました。私はその頃からおそらく、ケータイはお話、お喋りではなく、メールの利用のほうが盛んになるだろうと推測しました。いえ、お喋りでは、あまりに料金がかかるからです。それにメールなら、どこででも簡単にできるのです(その頃は電車の中では、メールもやってはいけない、ということでしたが)。
 おそらく、このことは斎藤さんが、以下に書かれていることと同じだろうと思うのです。

家庭内ルールを決める
 基本的なルールや対策を押さえた上で、それぞれの家庭の事情に応じた「家庭内ルール」を決めてください。

 私のところは、「自分で料金を支払う」という決まり、ルールでした。これが家族みんなにも、本人にも一番良かったかと思っています。でも今は小学生中学生ですから、大変ですね。私の姪が、二人の息子、小4と中1にもケータイを持たせていますから、料金はどうしているのか聞いてみます。

 でも、次のことは、もうたくさんの大人が認識してほしいです。

 保護者の皆さんの話を聞くと、小学校高学年〜中学生になると塾や部活で帰りが遅くなる事があり、今は不審者やストーカーなどの危ない事件もありますから、「子どもに何かあっちゃいけない」「いつでも連絡が取れるように」と「電話」として携帯を買い与えるようです。
 しかし、今時の子ども達に「携帯って何ができますか?」と聞くと、

1.メールが送れる
2.写真が撮れる
3.ネットが見られる
4.音楽が聴ける
 ずっと下に行って

X.電話「も」できる
なのです。
 つまり、子ども達にとって携帯は「電話」ではありません。「情報ツール」「コミュニケーションツール」なのです。大人と子どもで意識が全然違うのです。

 もう、このことはおおいに感じていることです。ケータイを電話としか認識していない、いやそれだけしか認識できない大人がいっぱいいます。いえ、私もゲームはどうにも、いやパソコンでも苦手ですがね。この私が「それだけしか認識できない大人」と書いたことは、もうたくさんいまして、大変な問題を秘めていると思いますよ。

 追記すれば、多くの中高年男性が言う「子どもなんて仕事してる訳じゃないんだから、携帯なんて要らないだろう」も、「携帯=電話」だと思っているから出てくる言葉で、「ケータイ=情報ツール」と思っている子ども達にとっては全く的外れなのです。
 子どもには大人と違う「携帯の使い道」や「携帯の必要性」があるのですから、まずはそれを理解しないと対策も何も始まりません。

 これと同じ言い方ではありませんが、同じ種類の言い方をよく聞きます。もうケータイも、そしていえば、パソコンも「仕事」だけに使う機器ではないのです。このことをまったく理解できない、理解しようともしない大人に私は絶望します。

 でもそんな大人ではない人たちも増えてきていますし、そうでない大人がたくさんの伝えるべきことを、持っているのです。私はメールでも、たくさんのことを伝えています。司馬遷の『史記』のことを伝えますし、いやいやそうなると、メールよりは手紙のほうがいいのです。私は娘二人にも(そのうち孫にも書きますよ。今も書いていますが、孫二人はまだ字が読めません)、たくさんの手紙を書いています。その中で、私は私の好きなたくさんの漢詩のことも書いていますよ。
 あ、また私の友人たちにも手紙を書かなくちゃなあ、と思っています。とにかく、時間が足りないのですね。
 そんな「時間が足りない」と焦ってしまう私には、ケータイもメールも実にいいものです。

 このお猪口は、たしか今から30年くらい前にもらいました。