bc6901cd.jpg

 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 これを読んで、私も知りませんでした。「エッ、電話機能だけのケータイがあるのか?」と驚いたものです。
 そして、そんなケータイなら私はいらないなあ、という思いです。それならスカイプでいいよなあ、と思います。スカイプなら無料でずっと話し続けられます。ただ、無料で延々と話せることが今ではそんなに魅力のないことであることがよくよく判ります。
 だから中国の方々なんかには、スカイプはものすごい魅力があるのでしょうね。私なんかは、無制限にスカイプをしていると、もう中国の方々のスカイプばかりで、ちょっと困ってしまいます。

 やっぱり、私はケータイはケータイメールがあってこそですね。インターネットのホームページを見るのには、やはりもっと広い画面が必要です。ただメールなら、いいです。ただし、ちゃんと段落を変えたちょつと長文のメールの場合は、私はGメールを使います。それと私はよく手紙を書いていますね。
 ただ、この頃は、手紙を書いている時間がなくて、とてもそのことが悔しいです。

 先に書いたように「携帯=電話」というのは親の感覚で、子どもは「ケータイ=情報ツール」という感覚ですから

 これはもう私も多くの私の年代の友人たちに感じていることです。ちょっとそれで困った感じもありますね。ケータイメールというと、「そんなものは使わない、それが当たり前だろう!」という剣幕の人もいるのです。
 ただし、私の年代でも、メールと言ってもケータイメールしか使わない、それしか使えない人もいます。私から手紙をもらうと、ただただ驚いているだけの方もいます。

 私の姪の二人の息子たちも、小学生のときから、私にケータイメールをくれています。もうそれは嬉しいものですよ。そして彼らにも私は和紙の手紙を書いています。彼らには、「あのおじちゃん(実は大伯父)は、いつもパソコンばっかりやっているから、こういう手紙もくれる、ケータイメールもくれる」と思っていることでしょう。そうですよ。そして君たちが返事をくれれば、私はもっとたくさん手紙を書きますよ。少々面倒な内容の手紙(いや私の好きな漢詩の話をしたりね)になるかもしれないけれど……。

 子どもの気持ちを理解し、いいコミュニケーション関係を作る努力をしていってください。

 これはなかなか難しいことですが、その努力が大切なのですね。でも私でできるかなあ。私は昨日、長女の家に美味しいケーキを持って行ったときに、もう笑顔になっていた食べていたポコ汰の顔が大好きなのです。
 子どもは私たちが大好きになれば、なるほど、いい子になっていくものだと私は思っています。そのように思い込んでいます。

 この画像も一つ前の画像と同じく、神社を前かから撮りました。私は何故か、もうまた再びこへ来ることがあるかなあ、なんていう思いがしたのでした。