09022502「大人の皆さんへ:(9)怒る回数を減らすには?〈時間割りを作る〉」斎藤さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年02月24日 23:55
「SHIROのポメラ日記」の斎藤です。
いつも親切なコメントをありがとうございます。
周さんは夜間中学で教えられていたのですね。そんな経験豊富な方にていねいに取り上げていただいて、かえって恥ずかしい思いがします。
夜間中学と言うと私が思い出すのは、山田洋次監督の映画「学校」と、夜間中学存続運動をしていた高野雅夫さんのことです。
実は私は高野さんと面識がありまして、と言うより息子の生くん・大くん兄弟と付き合いがあります。
東京で過ごした学生時代に、大くんが編集長、生くんが事務担当で作っていた”十代が創る十代のための雑誌”「ヒストリーズラン」の編集スタッフを1年間やっていました。
「ヒストリーズラン」の思い出は、個人ホームページの方で書いています。よかったらごらん下さい。
http://homepage2.nifty.com/shiro_/zakkan/16.html
当時十代だった私にとっては、とても大きな体験でした。
その編集部で、雅夫さんともいろいろ話したものでした。僕らは親しみを込めて「ガフさん」と呼んでいましたが。
その後Uターンして東京から離れてしまってご無沙汰していますが、最近、雅夫さんと大くんの親子で「父の遺書、僕たちの新書」を出しています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4788090244/

 いえいえ、私はパソコンの授業を毎月1回、7年間やっていただけです。私の友人の和尚さんという人と二人で、カリキュラムを作ってやり続けました。私の作成した自作パソコンを置いて、それでやっていたものでした。
 このパソコンでパソコン通信をやるのに、最初の最初は携帯電話でやっていたものでしたが、お金がかかりすぎるので、PHSを手に入れたものでした。
 それで最初は、netmeetingをやっていたものです。南米や米国やロシアやタイの方とお喋りしたものです。カメラを使うと映像もみられますが、これは少し危険でした。相手の人がいきなり脱いでチンチンを見せびらかしたりするからです。授業で見せられないよね。
 私の長女もまだ高校生でしたが、来てくれたものでした。

 でも、夜間中学というのは、最初の最初は実際に「字が書けない」、「字が読めない」人が来ているところだったのでしょうが、私が関わった頃は、中国残留孤児の方が日本語を習うところと、そして一番多くなったのが、不登校の子どもたちの学びの場だったのです。次第にその子たちが増えていきました。
 その不登校とは、みな「いじめ」により、学校へ行かなくなった子たちです。そしてそれは中学・高校だけでなく、小学生も増えていきました。だから小学生も来ていましたよ。
 私は松戸自主夜間中学校を主宰されている藤田恭平先生を尊敬していました。だから、自分の授業以外でも、できるだけ、ここの行事へは参加していました。

 でも私がやがて不満になったのが、ここが、どうしても「日本国憲法擁護」「現在の自民党政権批判」等の主張が大きかったことです。私はそれがだんだん不満になって来たものです。
 若い子から私のことを、「この人は昔は新左翼だったかもしれないが、今は右翼だ」という声を露骨に聞いたものでした。私は若きときから、一貫として同じ主張です。私はマルクス主義には与したことは一度もありません。でもどうして、そんな自分の主義思想が、この松戸自主夜間中学校の運動と関係あるのでしょうか。

 山田洋次監督の映画「学校」も見ましたよ。いい映画だとは思いましたが、どうしても現実とは違います。実際に今の公教育の現場である「いじめ」から逃れてきてしまう子どもらのことは描いていません。

 高野雅夫さんは、何年か前の5月3日の憲法記念日のときに、松戸自主夜間中学校に来てくれました。私は何か質問をして、高野さんが、「今は答えられませんが、後でお酒を飲みながら話しましょうか」と言われたかと思っています。肝心の私の質問の内容は忘れてしまいました。
 その他、くだらない質問はしましたね。「写真に写っている頭に冠っているのは、ヘルメットか、そして黒ヘルか、どうしてなのか」なんてことをでしたね。もう私の個人的な興味だけでした。

 私はとにかく、できるだけ多くの方たちが、パソコンを使って、よりいい学校を造って欲しかったつもりでした。でもでも、残念なことに、多くのスタッフの方も、子どもたちも、少しもパソコンには興味がなかったようです。このことは、もう大変にがっかりする思いばかりでした。

 画像は、1月29日浅草の「グランパパ」で買いまして、ある飲み屋のママに届けるつもりでしたが、そこがお休みでした。でももう一軒の店に行ったのでしたが、持って帰ってきたのでした。もうポニョにあげます。でもポニョは、これをお口でかじりつくのです。「そんなことしちゃいけないよ。可哀想でしょう」と私は言っています。